世界は日本の常識では推し量れない。
こちらの2枚の写真は、先日行われたサッカーのワールドカップ・アフリカ予選の一コマである。エジプト対セネガルの、本戦出場をかけた大一番で、最終的にPK戦にまでもつれ込んだときのものだ。
緑色の線は、レーザーポインターの光である。ペナルティキックに向かうエジプトのモハメド・サラー選手に、ホームであるセネガルの観客席から向けられたものである。
もちろん、あからさまな妨害行為である。それも1つや2つではなく、何十もが一斉に浴びせられたという証言もある。恐らくは相手チームの関係者などではなく、一般の観客の行為だろう。
結果、サラー選手はペナルティキックを外し、チームは破れ本戦出場を逃した。さぞや、悔しかっただろう。
セネガルの選手やサポーターは、どう思うのだろうか。私たち日本人の感覚からすれば何とも後味が悪く、とても「堂々の本戦出場」という気持ちにはなれない。
しかし、どれほど妨害があっても、観客席からのことだからルールで縛る訳にもいかず、試合の結果も変わる訳ではない。結局のところ、勝ったものの勝ちなのである。
サッカーの一場面の、ほんの数人(数十人?)の不届き者の仕業といえばそうかもしれないが、日本ではとても考えられない大胆で悪質な行為である。しかし、現実に世界ではこのようなことが起きているのである。
この一例だけとってみても、世界中の人が私たちと同じ感覚ではないことが良く分かる。世界中の人が私たちと同じ順法精神を持っているわけではないのである。
サッカーに限らず、政治経済や企業活動でも同じと思った方がよい。むしろサッカーなどよりもっと直接的に利害が絡む経済や安全保障の場で「ルールだから守られるはず」などと甘いことは考えない方がいいだろう。
日本の常識では世界は推し量れない。
日本はみんながルールを守るからよかった・・・などと安心もできない。オンラインも含め、日本人が外に出ていく場面も多いだろうし、いやそれ以上に、既に外から日本の中に色々な人が入ってきている。日本の中に「内なる外国」が、少しづつ広まりつつある。
グローバル化した現代においては相応な警戒心を持たざるを得ない。日本人がグローバルに合わせるばかりではなく、少なくとも日本の中では日本のルールを守らせるという決意と、その実効性を担保する手段が必要である。