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我慢は美徳なのか?

私たちは、我慢することを美徳と思っていないだろうか?

例えばコロナ対策にしてもそうで、欧米ではマスク着用義務や店舗の営業禁止措置に反対して大規模なデモが起きたりしている。日本は欧米に比べればずっと感染者も死者も少ないのに、そして罰則もないのに、粛々と自粛要請に従っている。コロナだから仕方ない、と。我慢するのが正しいのだと、どこか諦観しているように見える。

本来であれば、感染者や死者数を欧米と比較して「本当に自粛が必要なのか」とか「政府や医師会がもっと頑張るべきではないか」といった議論があってもよさそうなものだが、ネットの一部を除いてあまり聞いたことがない。

また、ときどき、飲酒運転やあおり運転など、危険な運転が話題になることがある。そのとき対策として語られるのは、もっぱら法改正による厳罰化である。もちろんそれも必要ではあるが、同時に自動運転の推進なども訴えるべきではないか。すぐにできるのはルールを作って人々が黙って従うことかもしれないが、技術で解決できることは、技術で解決した方がいいに決まっている。

さらに、日本はここ30年ほど経済成長していないが、高度成長は終わったのだから仕方ないと、低成長を受け入れているように見える。どうにかして成長しようとか、成長しないのは政府が悪いとか、そういった議論はむしろワガママとして敬遠される雰囲気さえある。

低成長ゆえ、若者は車も買わないし海外旅行もいかない。あまつさえ結婚もしないし子供も産まない。これを「ていねいな暮らし」と言えばいいように聞こえるが、低成長つまり低収入を我慢して、その範囲で生きていく、ということに他ならない。

本当にこれが、日本の未来のためなのか。

もっと言えば、憲法改正しないでいるのも、そういった面があるのではないか。軍隊を持たずに平和に暮らせるのは理想ではあるが、現実はそうはいかない。が、もしかしたら、現実に憲法を合わせるのは安直な方法で、たとえ苦しくても現実を理想に近づけるべきだ、といった感覚があるのではないか。

もちろん、我慢が必要な場面はある。

が、それはあくまで必要だから我慢するのであって、我慢そのものが目的になってはいけない。我慢することを美徳としてそれ自体に満足してしまっては、改善できるものも改善できなくなる。

自分の権利を主張せずに我慢する態度は、何か物事を冷静に見てるような気がするし、どこかクールな大人の対応のように思えることもある。しかし、本当に必要なことは、我慢なのか。

あるいは、現状を受け入れる方が楽なこともあるので、変革をサボるために我慢と言っているのではないかと邪推もしている。

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