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【短編】メタモルフォーゼ 〜 晩学作曲家のモノローグ 〜 第4話
やはり、このレベルの作曲家というものはいつも必死にチラシをまいて、SNSでしつこいくらいに演奏会の案内を投稿し、友人に拡散希望と記しておいてシェアしてもらって広報を怠らないことが肝要となってくる。
チケットは少しでも多く売らなければならない。作曲家たる者、曲を書き続けなければならないし、書き続けて作曲の技術全般がようやく見えてくるものだ。
曲を書いて演奏会を次々と打たなければ、自分をアピールできずにそのまま埋没してしまう。
作曲だけで生計を成り立たせるのは困難に近く、やはり定収入を得た兼業体制でいかなければならないが、今は一つの賭けとして活動の発展を願うばかりで、進めていくしかないと思っていた。
あらゆる準備とすべての関係作業をこなすことはフリーランスの定めなのは承知しているが、新作が完成すれば、楽譜の印刷からはじまって製本、またはデータをPDF化して奏者に送る作業も基本ラインに入ってくる。
もっとも製本して紙で譜読みをする奏者も最近では減り、タブレットを利用するようになってきているため、紙の楽譜を作成する作業負担は軽減されてきている。
楽譜を送ってからは少し時間を置いて、奏者が譜読みする時間を取る期間が必要で、大抵二か月くらいは見込んでいる。
そして打合せを重ねたうえで、奏者のスケジュール確認を怠らずに、二回の練習の会場を確保して練習当日まで待つことになる。
そのあと、譜面上で奏者の疑問点や解釈の問題などの質問が届いたりするので、丁寧に回答する必要があるわけである。
練習日当日は、奏者より早く会場に到着し、会場がすぐ使えるような配慮をしておく。
実際に曲を合わせていく段階で、いろいろな問題点にぶち当たるものである。
この音が出ない、このテンポでは音が鳴り切らない、作曲家と奏者の音楽記号のニュアンスに差異も生じる。
想定していたテンポより遅くなり、重たい演奏になってしまうこともなくはない。
曲に取り組む奏者の姿勢によって、演奏に少なからず影響を及ぼすものもある。
そこを作曲家の指示でうまくまとめる必要があるのだ。
思い通りにならないこともあるが、とにかく完成形を目指さなくてはならない。
当日の本番前には舞台でリハーサルを行う。
演奏時間プラスアルファの制約された時間のなかで、各楽器のバランスをいち早く察知して、この楽器は小さめに、そちらは聴こえてこないので大き目にと指示を出す。
あとの本番は高みの見物ではないが、温かく見守るだけである。
それはまとまった形となって聴衆に届けられることになるのだが、あとは「素晴らしかったありがとう」と言って奏者を称え、演奏会は拍手のうちに終了する。
そしてその日のうちか、翌日くらいにはメールか他のSNSのメッセージに御礼のコメントを入れて、これからのことも考えて奏者への改めての御礼を送るのである。
経費の面ではせめて演奏会ごとの収支計算をザっとしておいて、どのくらいの儲けが出たのかを把握しておくべきであるが、何度も言うようにずぼらな性格からそのようなことはできるのかは不安が募るばかり。
しっかりしろと周りからお叱りをいただくのだが、金の計算がまともにできないのだから、自分でも悔しくてならないのだ。
手元に残った金がいくらあるのか数えておしまいという横着ぶりはほかに見ることは稀なくらいである。
お金に対しての無頓着さどうしようもないので、少しでも売れるようになったら、アシストを雇うことにしようと思うのである。
吞気で大雑把な性格でいられる今の立場が一番心の状態が豊かなのかもしれないと、今の気楽さを半ば楽しむ気持ちの変化も生じてきている。
SNS上で、演奏会の開催報告をするのは、今や誰でもする日常のことではあるけれども、一番しっかりと記録しておかなければならないのは、Websiteでの活動記録の掲載と心得ている。
TwitterやFacebookは時系列に情報が掲載されていくため、古いものはどんどんと積み上げられてしまって、過去のものほど捜しにくくなるためである。
演奏活動がある度に細かく書き込んでいくようにすることは、実績の積み上げをしたくて、これも揺るぎない信条なのである。
例えば、ついこの間の発表した作品の情報を次のように掲載している。
「二〇××年×月×日 音楽生産工場小ホールにて、新作の『8つの管楽器のためのトランスフォーメーション 作品27』が管楽集団トポロジーにより演奏されました。一貫して透徹した雅やかな音楽の極限を表現したもので、作品リストの音源からお聴きください」
いずれの記録も音源は聴けるようにしておくことが肝心である。
この積み重ねで作曲家としての存在価値を世間の評価を窺うことができる場となる。
そして、You-tubeにも自分のチャンネルをしっかりと登録しておく。
なかなかチャンネル登録者数は増えていかないのが悩みの種で、はてさてどう増やしていくのがいいのか、まだよく分からないところがある。
トップページにはそれなりのプロフィールを挙げておかなければならないと思っている。
経歴詐称と疑われるようないい加減な情報の掲載は避けて、ありのままの経歴事実を当たり障りなくさらっと並べ程度にしてある。
「誠和音楽短期大学にて作曲を学ぶ。一時的にドイツでパウル・ヘンリックに指示するが、自閉症の病に悩み留学を断念。以後国内で独学、研鑽を積み、作品を精力的に発表する」
トップページには、「お仕事のご依頼はDMで」として、少しでも眼に留まるような工夫を怠らない。
今後の活動もできるだけスケジュールに入れるようにし、トピックスとして掲載するようにした。
委嘱を依頼してくる演奏家個人、音楽関係団体は作曲家がどんな活動をしているのかを調査の上、依頼してくるからである。
どこの馬の骨ともわからない作曲家に依頼してくるようなことはまずない。
また、日頃、幅広い交流を重ね、親しい間柄になれば仕事が舞い込んでくることもあろう。
経済的な理由からのべつ幕なしでコンサートに出向くことはいささか困難であるが、関心の高いものは行くことにしている。
他の作曲家の作品を多く聴いて刺激を受け、そこから新しい発想を得るようなことは珍しくないし、非常によい機会でもある。自分の仕事において知らない領域を知り、奥の深い音楽に出会うことは幸せである。
併せて、楽譜店でスコアを入手し、オーケストレーションを読み取ることほど勉強になることはない。
ただ、スコアから学べるからといって、そこから手法や音楽をパクるようなことは絶対にあってはならないことだ。
原曲の作曲者がそれを知って訴えを起こしたものなら、厄介なことになるのは必定で、賠償金の支払いは免れないし、第一に信頼の失墜を招き、人生の崩壊に至る予測が成り立つ。
悪い事だけはできないものである。
心の弱い純粋な者にとって、犯罪に手を染めるは自殺行為に等しい。
初めから意図していたか、魔が差さない限りは起こるべきことではないのだが……。
[第4話 了 ]