【短編】B&M ⑤ ~小ロンド形式による二人の作曲家のリレーション~ 5 主題A③ ~音楽を悦びとともに~
大げさなことを好まず、世俗を逃れ自分の家庭で静かに仕事をすることに幸せを感じていたバッハ。
謙虚に生活を送りつつ、自作を人々に積極的に広めたりすることはしなかった。
ことに音楽を通じてプロテスタントを信仰した敬虔な心の持ち主であったが、彼が亡くなること七九年後、一人の慎ましやかな音楽性、時代の本質的な音楽を大切にする早熟の天才によって偉業が果された。
そのフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディは和声、形式を重んじ、その時代に見合った音楽を忠実に再現させる作曲家である。
五曲の交響曲、二曲のピアノ協奏曲、そして有名なヴァイオリン協奏曲、劇音楽《真夏の夜の夢》などがよく知られている。
メンデルスゾーンは音楽の根底にある美だけを見つめ、みごとな音楽の芯を捉えた表現を実現した。
時代に見合った音楽形式、楽器の使用法にもこだわりがあった。
これからぬりかべに話さなくてはいけないのは、そこに関係する彼の偉業である。
死にかけたヨハン・セバスチャン・バッハを後世によみがえらせるきっかけとなった《マタイ受難曲》の復活演奏のことである。
1829年、メンデスゾーンが若干20歳で達成させたその演奏は反響に反響を呼び、その後の再演が行われるきっかけになっている。
メンデルスゾーンのこの曲への想い入れは過去の文献資料から想像するに、確固たる信念によるものだ。
メンデルスゾーンのその価値観は微動だにしないもので、一度こうと考えたらそれを曲げることはなかったと言われている。
楽曲編成上の問題、ホール借上げの問題、師のツェルター氏や当時の市参事会の強い反対等の幾多の障害が阻もうが考えを改めることはなかった。
神は彼に最終的に軍配を上げたのである。
この歴史的な偉大なる作品を復活させる演奏会がなかったものなら、恐らく現在のようなバッハの音楽が頻繫に聴かれることは稀有な現象となっていたのかもしれない。
わたしはそれを考えるだけでも背筋が凍りつく。
バッハの聴けない世界など、音楽を学んできたわたしにはとても考えられるものではない。
今までどれだけクラシック音楽に励まされて生きてことか。
この感謝を自分の責務として広く社会に還元することが己の務めであると言い聞かせてきたのだ。
今日のところは若き青年の期待に応え、この二人の作曲家の関係を話し、渾身の力を振り絞ることをここに宣誓したい。
以前、音楽美学を勉強していた時に、師曰く、「音楽の本質の奥深さを知ることでさらに二点を嚙分けることができるものだ」と言われたことがある。
一般に音楽を知らしめるにしても、その精神を持って臨むのは意義深いことと感じている。
「坊ちゃま、先程、車の中でもお話ししましたが、西洋音楽は17・18世紀のバロック時代のあとに、ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンと古典派に相当する作曲家が活躍したわけですが、十九世紀に入るとまた違うロマン派に属する作曲家が多く現れました。
ここで取りあげたいのは一八〇九年にドイツで生まれ、国内やイギリスで指揮、作曲、演奏活動をしたフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディなのです。彼は早熟にしてピアノ演奏や作曲に才能を示し、姉のファニーとともに作曲技術を磨いていきました。
10代でも円熟した作品を残しています。
1825年に作曲された《弦楽八重奏曲変ホ長調作品20》などは古典形式で若さに満ち溢れた素晴らしい曲です。
でもですよ、この時期の大切な代表作があるんですよ。
それは劇音楽《真夏の夜の夢》の序曲です。
作曲されたのは1826年で、あとから劇音楽が1843年にできたものです。
これが17歳の青年が書いた曲とは思えましょうか。
果敢な青年時代にこのような繊細さと当時、新しい響きを創りだすとは驚きの賜物です。
わたしは思わずシェイクスピアの世界に引きずり込まれてしまいました。まずは早速聴いてみることにしましょう」
例によってスマートフォンから容易に探し出す段取りの良さは、好奇心にあふれるぬりかべも心を躍らせているのがわかる。
ギラギラと輝く眼球の裏には彼の心の底に新しい世界の泉が湧き出しているに違いない。
目を閉じて上を向き、グッときている様子。
10分ほどの曲を最後まで静かにジッと鑑賞する音楽を自分の心でどう受け止めようとしているのか?
「気高サガアルヨウニ感ジルヨ。ハジメノブブンハ美シイネ。デモナンダロウ? ジブンガ未熟ナノカナ? ガンガンオーケストラガ鳴ルヨウナ曲ガスキナンダヨナ。オジサンハドウ思ウ?」
「いや、坊ちゃま。年代層によって好みはまちまちですよ。
聴きたいものを聴くのがよろしゅうございます。
クラシック音楽の資源は豊富ですから、今にきっとお気に入りの曲が見つかりましょう。
メンデルスゾーンという人は、この長き西洋音楽史において、その時代、時代に書かれた作品の経緯をしっかりと心得ていた人です。
ひと昔前のバロック時代で―」
こう言っている間でも、《「真夏の夜の夢」序曲》を大好物だとは言い難いような目つきをしているぬりかべを「わかっちゃいないんだな」と若気の至りぶりを不びんに思いながらこう話しを切り出している。
「―彼のいた19世紀の初めのロマン派時代の百年ほど前の時代から楽器の発達は時代とともに変化の一途をたどりました。
その時代の音楽はその時代の特有の響きを持っていたことに注目する必要があります。
そこを彼は見逃さなかったことになりますね。
ソフォクレスという人の書いた『アンティゴネ』というギリシャ悲劇があります。
その付随音楽と古楽器についてお話ししますが、メンデルスゾーンが当時からすでにあった楽器に近いもので演奏するのを望ましく思っていたようです」
「ホホウ、古風ダネ」
「あまり、ごちゃごちゃっとした旋律や編成の曲は書かない人ですよ。その楽器の性質を十分に引き出し、音の本質から音楽の美しさを表現する人のようですね」
「ハデナオンガクハ逆にシキサイガ豊カナノト違ウ? キラビヤカナホドオンガクハ美シインジャナイノ?」
なるほど、鋭いじゃねえかと思って、意表を突いて質問してくるぬりかべをこちらはけん制にかかる。
「ハハハ、必ずしもそうは言えないのが音楽の世界なのです。旋律の美しさ、固有の音の純粋さを備えているのがメンデルスゾーンの特徴であり、素朴とはいかないまでも、音の本質を十分に考えて作曲されていることから、あまり音で飾るような音型は見られません。
まあピアノ曲で《春の歌》のような装飾音が特徴となった例外はありますが、それはそれで一貫した性格を持っていますので、爽やかな春風を吹かせているような効果がありますから」
「フーン、オンガクモ奥ガ深インダナ。ソレデドウシテ、バッハノ次ハメンデルスゾーンノオンガクナノカナァ。ナニカ絡繰リガ有ルンダロウ? 音楽史上ノサァ」
「さすがに坊ちゃま、先ほどから鋭い突っこみをありがとうございます。
お考えのとおり、バッハとメンデルスゾーンはクラシック音楽史上、重要な関係を持っているのでありまして―」
「ジレッタイナァ、オジサン。早ク教エテヨ。オジサンノ扉ノ向コウニハ、ピストルヲ持ッタ護衛ガマダ待機シテルゼ。指パッチンの合図ヒトツデオジサンニモズドント一発―」
やれやれ、気の短い息子ときたもんだ。
物騒なお宅に舞い込んでしまったと若干の後悔もしつつ、癪にさわる気持ちをグッとこらえた。
音楽を教えてピストルでズドンはかなわないし、命乞いなどするのもバカバカしいのでその先を急ぐことにする。
「坊ちゃまもお忙しいと思いますので、ちょいとスピードアップすることにいたしましょう。
坊ちゃまが考えていらっしゃるとおり、この二人の関係は深く結びついているのです。
じゃあ、それは一体何なのか? メンデルスゾーンの師、ツェルターという作曲家が厳重にベルリン・ジンクアカデミーで管理していた《マタイ受難曲》の総譜に関係しているのです」
「《マタイ……》?」
「そう、《マタイ受難曲》の総譜は鍵のかかった棚に入っていて、師にお願いしても見ることも許されなかったのです。
メンデルスゾーンはその総譜をどうしても見たかった。
ダメだと言われると、さらに人間は好奇心が湧いてきます。
メンデルスゾーンは居てもたってもいられなくて、この曲の再演を決心するのです」
「ベツニフツウニ再演スレバイインジャナイ? ナニカモンダイデモアルノカナァ?」
「物事を進めるのにそんなに浅はかに考えてはなりません。
今では〝音楽の父〟としてよく知られていますが、当時、バッハは死んでからまったく忘れ去られていたのです。
まずは師のツェルターはこの三時間かかる難曲を20歳のメンデルスゾーンにできるはずがないと否定的な考え方を示しました。
しかし、メンデスゾーンの強い熱意にとうとう屈します。
これを100人以上の規模の合唱団、二群のオーケストラの各団員の確保、何と言っても大きな資金が必要になることが一番の課題になりますよね。
そして実施するのに会場を押さえるにも、今で言う市議会が諸課題の解決が難しいだろうと反対者が多く、なかなか認可が下りなかったわけです。
この計画はすべてが慈善公演として位置づけられました。
それぞれの演奏家たちも、《マタイ受難曲》を演奏したい一心で報酬は受け取らないことになったのです。
そして、譜面においては忘れられた音楽家の音楽を三時間そのまま演奏するにはかえって聴衆の退屈感を招く要因にもなりかねません。
そこで、メンデルスゾーンはいくつかの部分を思い切って、カットして演奏したのです。
レシタティーボ、アリア、コラールなど六八曲からなる全体構造を三分の二ほどにすることを考えます。
それに加えて、当時の使用が困難だった楽器オーボエ・ダ・カッチャとオーボエ・ダ・モーレの代用としてクラリネットが使われました。
レシタティーボには新たに伴奏が付され、すべてに適切な指示を出し、全体像をよりわかりやすくまとめ直しているのです」
「ホウ、何ダカズイブント、タイヘンナ苦労ヲ伴ウモンダネ。ソレカラ、ソレカラ?」
「ええ、そして、メンデルスゾーンは1829年3月11日、ジングアカデミーで自らの指揮において歴史的な再演を果たし、バッハという偉大な作曲家をよみがえらせたのです。
当時はおろかクラシックの西洋音楽史上で歴史を飾る偉大な功績として、よく知られていることなのです。
20歳にして彼の名声はヨーロッパ中に広まりました。この史実は《マタイ受難曲》のその後の演奏機会を招いただけではありません。
バッハ自身の存在も高く評価され、現代でバッハの作品は多く取り上げられているばかりではなく、〝フーガ技法の確立〟において後世でも引き継がれている考え方でもあり、対位法はその後も多様に使用されているのが現実です」
「アァ、〝フーガ〟ッテ、サッキノ家デ聞イタ〝対位法〟デ紡ガレタ音楽デショ? チョットハ勉強シテルナア、ウチモ。ハハハハハ」
ご機嫌のいいうちに話を済ませて退散しようとするが、少し度忘れしたことがあって、しばらく思考を巡らしているとぬりかべはまたもイラつきを見せ始める。
「オジサン―、オジ……」
「―あらら、わたしとしたことが……。—そうそう、バッハがフーガを確立した話。メンデルスゾーンがいなければそのバッハのフーガの魅力も消滅していたかもしれないという事実。
メンデルスゾーンは何事にも意欲的で、若くから指揮者、ピアニスト、作曲家としてハードなスケジュールをこなしてきました。
そしてまっすぐな性格からあまりの激務で無理がたたったのでしょう。
38歳にして脳溢血で亡くなってしまうのです。
対人関係も平坦ではなく、極度なストレスなども抱えていたのではないでしょうか」
「ダイタイワカッタヨ。イイ曲ガアリソウダ」
メンデルスゾーンの作品の今まで聴いたなかで駄作はないのかと聞かれれば、そうも言い切れなく、また聴いて後悔する作品もないのかと言われるが、そう言うことでもない。
比較的聴くに値する作品が多いのはこの作曲家に確固たる信念があるからである。
作曲家が書いてみずから気に入らないという作品は多い。
本人が書いてもあまり好まなかったといわれる作品を聴かせてみようかと思っている。
ぬりかべが「ツギハ、ナニ?」と手ぐすね引いて待ち構える姿は、蜘蛛の巣をビンビンに張ってじっくりとわたしという獲物を待つジョロウグモに見立てるのがこの場のイメージとして相応しい。
「坊ちゃまにこれから聴いていただく曲は、恐らく坊ちゃま向きかもしれません。
1831年に書かれた《ピアノ協奏曲第一番ト短調 作品25》で、軽快なピアノソロの華やかさが、聴く人の心を搔き立ててくれるのかもしれません。
調べによると、メンデルスゾーン自身はこの曲はあまり好んで弾かなかったとか―。
若々しさに溢れていますから、坊ちゃまにはお気に召していただけそうな気がします」
ぬりかべはむさぼるようにYou-Tubeから湧き出す音に集中している。聴き始めは平然としていたが、後半、目の色を変えて、表情が和らいでいる様子。
そう、後半の第三楽章はかなりの速いテンポでピアノとオースケストラが駆け巡る若きメンデルスゾーン色の豊かな音楽なのである。
そこにぬりかべは完全にはまり込んでしまった。
ウキウキモードで音楽に合わせて様にならない指揮をし始める。
動きはいっこうに止まらないし、呼吸も荒く、しまいには立ち上がって音楽に合わせて指揮棒を当てずっぽうに振り回している。
曲が終ると同時にピタリと指揮も止み、ニタリとした顔つきでこちらと目が合う。
「いかがでした? お気に召したのであればよかったのですが……。坊ちゃまは早いテンポの曲がお好みのようですね」
「ハア、ハア、ハア、イイナァ、コレ。トクニ三楽章ハ、キモチガhighニナルネ。コレハ〝オ気ニ入リ〟ニ入レトクヨ、アトデユックリト聴キマスヨーダ」
「それはよろしゅうございました。
これからお時間のあるときに聴いていただければ、これほど嬉しいことはございません。
余裕がありましたら、生の音楽も聴いていただけると尚よろしいですね。
いわゆるコンサートで聴ける環境もまた格別です」
「ウーン、ウチハネ、オコヅカイナインダヨネ。カッテニ外出デキナイカラナァ、ミンナ護衛ガネ、クッ付イテキチャウモンダカラ、落チツカナイシサァ」
物のたとえで言っただけだから、行けないなら家で聴くんだよ、とは間違っても口には出せないので残念そうな顔つきで、ぬりかべの顔を脇から覗き込む。
「ムリナンダヨナァ」
「いいんですよ、坊ちゃま。それぞれ事情があろうってもんです。まあ、しばらくはスマホからでいいじゃないですか。じゃあ、時間もありませんから―」
「ツギダ、ツギ」
「少し、違う楽曲を選んでみましょうか。
オーケストラの曲ですが、《フィンガルの洞窟》序曲です。
メンデルスゾーンは1829年の《マタイ受難曲》の復活上演後に、スコットランドに長期の旅行に出ております。
フィンガルの洞窟とはスコットランド・ヘブリディーズ諸島にある洞窟で、そこで彼は霊感を得て作曲したようです。
そして1932年に初演されました。三回ほど改訂されているようですね。
作り上げられた想像のつかない自然の力に心を惹かれるのが芸術家です。
早速、聴いてみることにしましょう」
空気がこもる密室に悠然と響き渡るチェロの旋律。
深い自然を歌うこの作品もメンデルスゾーンの特質である本質的な旋律に美しさを具えている。
抒情的な美しさは人の心に沁み入ってくるものだ。
ぬりかべも音楽の真の美というものに気づき始め、曲のダイナミックな部分に感情をさらけ出して自身の喜びに満たされているのがわかる。
「オジサン、ウチハ……、ウチハコンナニキレイナ曲、ハジメテダナァ。メロディーノ本質ッテコウイウコトナンネ。心ノナカデオンガクガ魂を揺サブッテクルカンジ。何ダロ? コノ感動」
「はい、坊ちゃま。メンデルスゾーンの音楽の特質を少しでもお分かりいただけたようで嬉しい限りです。
気に入りましたら、何度でも聴いてみるのがよろしいです。
今日はね、今日はもう一つだけ最後に紹介したいのがあるのですよ。
それはね―、それは交響曲なんですけどね、
第3番《スコットランド》交響曲だとか、第4番《イタリア》交響曲じゃあないんですよ」
「ナニヨ、オジサン、勿体ブッチャッテ、ウチガ気ガミジカイノ知ッテイルダロウニサ、ハヤク言イナサイヨ」
「これはね、結構な大作でしてね。合唱を伴う交響曲で、《讃歌》というタイトルがついてるんです。演奏に要する時間も70分と長大であります」
合唱がつくと聞いて、口をへの字にまげて「何だ、そりゃ?」とでも言い出し兼ねない未知の世界を怪しむ不審な顔。
出し惜しみをするようなわたしの話しっぷりがじれったくてしかたがないとみえる。
音楽はゆっくりとリラックスして聴いてこそ、その良さというのがわかるというもの。
ぬりかべにはまだまだ音楽の世界の幅広さと深さを理解するにはまだ少し早いのだ。
「では、交響曲第2番変ロ長調《讃歌》作品52です。
この曲はグーテンベルクの印刷技術発明から400周年を記念して、メンデルスゾーンがライプツィヒ市から委嘱を受けて作曲したものです。
1840年、ライプツィヒの聖トーマス教会で初演されました。その後、改訂が行われゲヴァントハウスで半年後に再演がされています。
第一部は三楽章からなるシンフォニア、第二部は九曲からなるカンタータと言って、オーケストラ伴奏つきの多声楽曲で構成されています。
この楽曲の歌詞はマルティン・ルターの翻訳した旧約聖書から採られていますが、初演当時は非常に好評を博しましたけれども、演奏の機会は少なく1958年になって、国際メンデルスゾーン協会が設立されるとともに、この曲は再評価されてきたようです。では―」
「能書ハヨロシイ、早ク」
相変わらず、せっかちのひよっこに「慌てる乞食は貰いが少ない」と浴びせたくなるが、攻撃すればどんなことになるかはよくわかっているので、心の奥底にその言葉をそっと押しとどめた。
「なんせ、長大ですけど絶対に全部聴いてもらいたい曲なんですが、始めのシンフォニアだけにしましょう。
後半部もなかなかいいですよね。
全曲はあとで時間のあるときにゆっくり聴いてください。
第一部のシンフォニアの第三楽章までは30分かからないくらいですから、今はそこまでにしておきましょう。
わたしもそろそろ今日は引き上げなくてはなりませんから」
「アア、イイトモ。準備ガデキタラスグニヨロシク」
さすがに70分はこの場では間が持つまいとぬりかべも感じたのだろう。
ひとりでゆっくり落ち着いた心持ちで聴けば、良さもわかるというものだろう―と言っている間に、一人自分のスマートフォンで検索していくつかのコンテンツから好きな演奏をセレクトし始めている。
例によって目を閉じて、上方を向いている。
しばらくすると、モチーフが印象に残ったのか、序奏部のモチーフが何度も出てくると下手な鼻歌を歌いだすようになった。
途中で終わりかける部分で、小声で感想を話しかけてくるぬりかべ。
「モウスグ終ワルミタイダケドサァ、後半モ楽シミダナァ。合唱ガ入ルンデショ? オジサンモウ帰ルンナラ、帰ッテイイヨ。ウチハソノママ聴イテイルカラサァ。コンナニスバラシイ曲、中途半端ニシチャッテモサァ。ネエ?」
「おいとまをいただいた後には、どうぞ、ごゆっくりと……」
荷物をまとめて肩にかけていると、ぬりかべの高く上げた右手の親指と中指が「パチン」と高らかに鳴り響く。
途端に入口の扉から、がたいのいい二人の護衛が現れてあれよあれよと両腕を肩に担がれ、部屋の外へ運び出されたかと思うと、外のベンツの後部座席に突っ込まれてしまった。
その間、護衛の口からは何の説明もない。
割と速度を上げた、やや危険な運転に恐怖心は募る。担ぎ込まれた車の中では終始無言の二人。
このままどこかの最寄り駅でコロリと転がされるのであればまだ良いのだが……。
この辺りは地理感覚がないので、どこに連れていかれるのかはわからないが、駅の近くの繁華街のほうに向かっているのは確かである。
ものの10分も乗っただろうか、一件の飲食店の前で車は急停車。前席の二人は例によって手際のよさで、わたしを強引に引きずり出し、こう話し出す。
「ロンディーノさん、今日はありがとうございました。とても坊ちゃまはお悦びでございました。
昼を抜いてのレクチャーでしたから、お腹もお空きでしょう。
こちらのお店で食事をしてお帰りくださいとの坊ちゃまからのお達し。
どうぞお好きな物を好きなだけ食べてご堪能くだされば幸いです。
店主には話してあります。では」
護衛たちはさっさと車に乗り込み、猛スピードで先の交差点を折れて消えていっいた途端に、お腹がグーッと鳴りだしたので、ぬりかべの配慮にお言葉に甘えようとした。
看板は割烹料理〝幽邃〟とあって、外観は入口の脇におかめ笹の植え込みをあしらえた店名の通り、幽玄で気品のある表構えである。
中に入ると、風情豊かな和風の落ち着く店内で、ゆっくりと食事を愉しませていただいたことは言うまでもない。
店主からもてなされた温かな創作料理はすべておいしくご馳走になったのである。
〝ほうれん草の白和え〟、〝ハモの天ぷら〟、〝蕪蒸しの焼きウニのせ〟などはとても美味だった。
めったに口にすることはないだけにその感動もひとしおである。
お勘定は店主が言うには、やはりぬりかべのほうで精算済とのこと。
しかし、行政からの派遣で来ている事情もあって、結局、店主には丁重にお断りして自前で愉しむことにしたのである。
ぬりかべには振りまわされたが、粋な計らいに心から感謝をすることにしたい。
仕事のあとのこのご褒美が次の仕事への活力と豊かな精神を生み出してくれることを願いつつ。
B&M ~小ロンド形式による二人の作曲家のリレーション~ (了)
【参考文献】
●『バッハの生涯と芸術』 フォルケル 著 柴田治三郎 訳 ㈱岩波書店
1988年1月18日第1刷発行
●『J・Sバッハ』 礒山雅 著 ㈱講談社 1990年10月20日第1刷発行 2012年11月12日第29刷発行
●『J・Sバッハ』 辻壮一 著 ㈱岩波書店 1994年8月22日第1刷発行
●『バッハの秘密』 淡野弓子 著 ㈱平凡社 2013年3月15日初版第1刷発行
●『バッハ ~「音楽の父」の素顔と生涯~』 加藤浩子 著 ㈱平凡社 2018年6月15日 初版1刷発行
●『バッハ ~大音楽家 人と作品 1~』 角倉一朗 著 ㈱音楽之友社 1963年4月5日第1刷発行 1991年年9月20日第28刷発行
●『フーガ』 マルセル・ビッチ/ジャン・ボンフィス 著 池内友次郎 監修・余田安広 訳 1986年3月5日第1刷発行 2010年5月30日第8刷発行
●『バッハ ロ短調ミサ曲』 クリストフ・ヴォルフ 著/礒山雅 訳 ㈱春秋社 2011年10月25日第1刷 2018年4月25日第3刷
●『シュヴァイツァー著作集第12巻 バッハ 上』 シュヴァイツァー 著/浅井真男 訳 ㈱白水社 1957年10月15日発行
●『バッハの思い出』 アンナ・マグダレーナ・バッハ 著/山下肇 訳 ㈱講談社 1997年9月10日第1刷発行
●『天空の沈黙 音楽とは何か』 Ⅴ・アフェナシエフ 著/田村恵子 訳 未知谷 2011年11月25日初版発行
●『バッハの風景』 樋口隆一 著 小学館 2008年3月5日初版第1刷発行
●『バッハの人生とカンタータ』 樋口隆一 著 ㈱春秋社 2012年11月20日第1刷発行
●『大作曲家 メンデルスゾーン』 ハンス・クリストフ・ヴォルプス 著 尾山真弓 訳 ㈱音楽之友社 1999年4月10日第1刷発行
●『メンデルスゾーン ~美しくも厳しき人生~』 ひのまどか 著 ㈱リブリオ出版 2009年4月20日第1刷発行
●『小説 メンデルスゾーン』 ピェール・ラ・ミュール 著/工藤政司 訳 ㈱音楽之友社 1973(昭和48)年5月25日第1刷発行
●『メンデルスゾーンの宗教音楽 ~バッハ復活からオラトリオ《パウロ》と《エリヤ》へ~』 星野宏美 著 ㈱教文館 2022年3月30日初版発行 2022年7月30日2刷発行