(19-21-24E)擬人化された英単語が地球を救う。はあ?【小説】ことだまカンパニー 第十九章 前夜(21)~(24)
二十一
万三郎は、次に京子に手を差し出して、その手を握りながら言った。
「京子さん、今日どうしたの? とっても可愛いじゃない」
京子はちょっとムッとして言った。
「なんか、今まで可愛くなかったみたいな言い方やな」
「いや、まつ毛。今日、すごく自然でいい感じじゃない?」
「イヤやわ……」
京子はちょっと顔を赤らめて目をそらした。万三郎の記憶の中で、いちばん四葉京子らしくないリアクションだった。
「高速学習の副作用やと思うねんけど、まつ毛だけが生き甲斐の女って、最近どうかな……って、疑問に思うようになってん。万三郎、『つ』にアクセント置いて、『まつげ』って、言ってみ」
「まつげ……」
「な? 世界の危機に向き合う時に、それ、ちゃうやろ、と思わへん?」
万三郎は心の中で拍手した。
「京子さんって、本当はすごい美人だったんだね」
「そんなん言うても、何も出えへんで……」
まんざらでもなさそうな京子の表情は、英語研修中には見られなかったもので、つくづく、女性は変わるもんだと万三郎は思い知らされた。
「祖父谷……」
万三郎は後ろの席から祖父谷の前に右手を差し出した。戸惑いながらも、促されるようにしてその手を握った祖父谷に万三郎は頷いて言った。
「ヨッシー。友よ。ありがとう」
万三郎にまっすぐ見つめられてヨッシーと言われた祖父谷は、うろたえて手をひっこめ、落ち着きなくあらぬ方向を見てつぶやいた。
「す、優れたお前が、俺風情に『ありがとう』なんて、もったいない……」
万三郎は祖父谷に言った。
「スピアリアーズの申し出にありがたく甘えようと思う。だけど、やっぱりお前たちの助けが必要だ。お願いがある。俺たちは内宮に行くから、お前たちは外宮に行ってくれ。御正殿の前に行けなくても、敷地のどこか屋内で、グレート・ボンズ作戦に参加してくれ。頼めるかな……」
「お……俺たちごときが……」
祖父谷は伏せた視線を目まぐるしく変えながら当惑してつぶやいた。見事な副作用だ。いや、「反作用」と言ったほうがふさわしい祖父谷の自信喪失ぶりだった。
と、京子が突然、祖父谷の頭を思いっ切りひっぱたいた。祖父谷が大きな体をビクリと縮こまらせて両手で頭を抑える。
「あ痛ぁ……」
京子は、その頭にやった祖父谷のそれぞれの手をとって、胸の前まで下ろして重ねさせ、それを両手でガッと包み込むように握って、祖父谷をまっすぐ見つめ、大きな声で喝を入れた。
「しっかりせえ、大将! うちと奈留美がついてるがな!」
「そうですわ。しっかりせえですわよ」
「あ、ああ、そうだな」
戸惑いながらも頷く祖父谷。そんな彼を見守る二人の女性たち。万三郎は安心した。このチームは大丈夫だ。
「よおし! じゃあ、入れ替わろう。杏児とユキに言ってくる」
その時、祖父谷が我に返ったように万三郎を呼び止めた。
「あ、ちょっと待て、万三郎」
二十二
万三郎がドアの内側の取っ手を握ったまま顔を上げると、祖父谷は上体を助手席側に乗り出すと、助手席の京子の前のダッシュボードを開けて、中にあった栄養ドリンクを取り出し、それを万三郎の目の前に差し出した。
「ほれ。今は店が閉まっているから手に入らないだろうと思って、無能なりに考えて、新幹線の車内販売で買っておいたんだ。最後の一本だった」
――車内販売! まだやっていたのか。
万三郎は驚きながらも小瓶を受け取った。
「あ、ああ。有難う、後でいただくよ」
祖父谷は運転席から上体をひねるようにして万三郎を見た。
「ダメだ、今飲むんだ」
万三郎が不思議そうな顔をすると、祖父谷は低い声で言った。
「中浜、お前、今、熱、あるだろう」
万三郎は今度は驚いた表情になって訊き返す。
「そ、祖父谷、どうしてそう思うんだ?」
祖父谷は前を向いたまま答えた。
「見りゃ分かる。顔が、疲れてるんだよ。何か月お前の顔見て毎朝闘志湧き上がらせてきたと思ってるんだ」
万三郎が熱を出していることを祖父谷が見抜いたことにも驚いたが、思えばこの三人は、十二倍で学習していたことや、修了試験前には二十倍速まで早められたことを、誰からもきちんと説明されていないのではないかと思い、今生の別れになるかもしれない今、彼らに真実を伝えておこうと万三郎は口を開いた。
「祖父谷、俺たちが最初に出会ってから今日まで、正味、一ヶ月なんだよ」
すると、祖父谷はこともなげに言い返す。
「十二倍速だったと言いたいのか? 覚醒した時、聞かされて知っている。なにしろ、そのせいで俺はこんなに卑屈になってるんだから」
「なんだ、自分で卑屈だってよく分かってんだ」
「話をそらすな中浜。いいか、一大事だから、今、横になって休めとは言わん。だが、有能な者が最高の仕事をするためには、体調もベストに持っていく努力をするんだ。そのドリンクを早く飲め」
「あ、ああ、分かった」
小瓶のキャップをひねって開けながら、万三郎が訊く。
「古都田社長や新渡戸部長、今どこにいるのか知ってるのか」
祖父谷は一瞬驚いて振り返ったが、すぐに得心して説明を始めた。
「そうか、お前たちが帰国する前に、社長も部長もすでに行動を開始していたから知らなくて当然だな。社長は皇居のほど近くにいて、KCJ本社と皇居の両方を見守りながらグレート・ボンズ作戦に参加すると言っていた。ほうぶん先生やほかの先生方も一緒だ。新渡戸部長はお前たちが羽田に着く前に、自衛隊機で出雲に飛んだよ。出雲大社から作戦に参加するということだ」
「出雲へ?」
二十三
四人の乗った軽自動車が、強風にあおられて左右にグラグラと揺れた。
祖父谷が言う。
「中浜、お前、内村鑑三郎という元内閣府審議官を知っているか」
万三郎は頷く。
「石川審議官の上司にあたる人で、KCJとリンガ・ラボの生みの親だと、ニューヨークで会った外交官から教えてもらった」
「うむ。あの人からの直々の指示があったということだ。日本のことだまの霊力を引き出すのに最強の布陣が、天皇のおはします都、伊勢、出雲の三ヶ所からの祈りだということだ。お前たち有能な若い救国官が伊勢に行くと自ら願い出たことを大変に喜んでいて、それなら社長は東京で、部長は出雲で、それぞれ伊勢を補佐しなさいと、内村さんから言われたらしい」
「そうか……」
万三郎は祖父谷の説明を聞きながら、栄養ドリンクを飲み終えた。
「ありがとう。本当のことを言うと、熱のせいでフラフラしていたんだ。これで、戦える体に復活すると思う」
「小賢しい浅知恵が、少しでも役に立ったのなら嬉しいよ」
空の小瓶を受け取った祖父谷は、全然嬉しそうではなかった。
「中浜。お前たちのこれからの働きに比べれば、俺たちはミドリムシ並みでしかないかも知れんが、少しでも力になりたい。外宮に行くよ」
「そうか。ヨッシー、ありがとう」
万三郎は微笑んで礼を言ったが、祖父谷はニコリともせずに続ける。
「中浜、高熱が出ているなら、栄養ドリンク一本じゃ気休めにもならんだろうがな。国連演説に続いて一世一代の大舞台だ。むろん、みんながお前を信じて力を結集する。人類も、ワーズたちも。だが……ま……」
祖父谷は、少しの間、目を逸らした。それから万三郎を再びまっすぐ見て言った。
「ま……万三郎。友よ。死ぬなよ」
初めて万三郎を下の名前で呼んだヨッシーの、そのぎこちない呼びかけに、万三郎はしっかりと頷いた。
ヨッシーは運転席で大きな体を窮屈そうに反転させて、再び万三郎とがっしりと握手を交わした。
ピックアップトラックがパッシングをして、クラクションを長押しした。
「よし、じゃあ行く」
「ああ」
二十四
万三郎は暴風で波打つような豪雨の中、よろめきながらピックアップトラックに戻った。一分後、万三郎、杏児、ユキの三人が出てきて、身をかがめながら軽自動車によたよたと歩いて来る。それに合わせて、軽自動車からも、祖父谷、京子、奈留美が意を決して出て行った。両者はワイヤーロープ三本で仕切られた中央分離帯を互い違いに乗り越えた。
「久しぶりね、まつ毛女」
「やかましわ。もうまつ毛は卒業したんや」
「祖父谷、車、ありがとうな」
「これはこれは、優秀な三浦救国官から身に余る光栄な言葉を頂戴して、小生、夢見心地ってなところだ。どうか存分に働いてくれ」
万三郎は、「ひゃあああ」と言って、中央分離帯の前で立往生している奈留美をひょいと抱え上げ、ピックアップトラックの側に移し、立たせてやるときに大声で聞いてみた。
「お嬢、アポフィスは衝突するのかな」
奈留美はカールしたロングヘアをべたべたに顔と服に張り付けたまま、かぶりを振った。
「わたくし、せいぜい二時間先までのことしか、分からないの。ごめんあそばせ。でも、万三郎、きっと生きてお戻りなさいね。肉まんの切り分け方をお教えになって」
万三郎はすでにどこに目があるのか分からない奈留美に微笑んだ。
「分かった。きっと戻るよ。お嬢、ごきげんよう」
「おい万三郎、急げ!」
杏児から大声で呼ばれて、万三郎は再び中央分離帯をまたいで軽自動車の側へ飛び移った。そのせいでくらくらした頭を押さえてよろめいたが、ユキに助けられて何とか軽自動車に移動した。
まもなく、停電で道路照明もない高速道路を、二台の車が別方向に走り去って行った。
風が声を遮り、雨がぬくもりを奪い、闇がひたひたとそこまで押し寄せてきている。明朝、あるいは人類の命運が尽きる。その前夜が、史上最大、最強の台風とともにやってこようとしていた。
◆◆◆
(1)バックシート・ドライバー……backseat driver 自動車の客席から運転にうるさく口を挟む人をいう。後部座席からではなく、助手席から指図する人も、backseat driverという。ちなみに助手席は、assistant driver’s seat というものの、事故死亡率の高い席であることから、”death seat”(死の席),” suicide seat”(自殺席)などと呼ばれることがあるので、杏児に嫌われるほどのユキの神経質さも、極端すぎるとはあながち言い切れないかもしれない。
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