先生、それ間違ってます!!――先生が間違いを指摘された場合の対応について
恥ずかしい。
3人の生徒さんを対象としたリモートレッスンでのこと。illustratedという単語を含む英文を朗読した生徒さんのアクセントの間違いを直した。
少し後に、別の生徒さんが「先生、さっきの illustrated のアクセントですが、イーラストレイデッドじゃないんですか?」と僕に訊いてくる。
「いや、イラーストレイデッドですね」
この生徒さんはインターに通っていた中学三年生。英語は堪能だ。
「そうなんですか……」
納得していない様子の彼を含めた生徒さんたちに僕が説明する。
「皆さんこの際覚えておいてほしいんですが、一般に、-ate で終わる動詞のアクセントは、この語尾より2音節前の母音に来ます」
「え、先生、2音節前なんですか?」
僕は急に不安になって、ちょっと確認してみますねとスマホの英和辞典アプリを立ち上げる。自分の言った法則に従えば、アクセントは、インター卒の生徒さんの指摘通り、イーラストレイデッドになるじゃないか……と気づいたからだ。
果たして、単語の発音記号に目を凝らすと、最初の文字の上にアクセント記号がある。イーラストレイテッドだ。
――うーわっ、まじか!
レッスン準備は結構しっかりやっている。しかしこの単語の発音については、微塵も疑いを持っていなかったので、事前確認など思いもよらなかった。
学ぶ側、教える側、通算してン十年。そこまで特殊ではないこの単語のアクセントを完全に誤るなど、逆の立場なら、良いもの見せてもらったわ〜というくらい稀なこと(だと思いたい)。
それでもたまにこうしたことが起こると、間違いを率直に認めて、その場でさらりと謝り、改めて何が正しいのか述べることにしている。なぜなら、僕自身が英語学習する中で、昔、中学や高校で先生から教えてもらった情報が間違いであったことに今でも時折り気づかせられるからだ。
教えられれば生徒は誤った情報も一生記憶しうる、と体験的に実感している僕が、生徒さんに同じ体験をさせてはならない。
レッスンを進めながら調べ、その結果を発表する。「さっきの件、このオンライン辞書で発音記号を見ると、●●さんのご指摘通り、イーラストレイテッドが正解で、私が言った、イラーストレイテッドは間違いでした。確認のために音声を再生してみます」と言って、スマホ画面をカメラに向けて発音確認音声の再生ボタンを押す。「ということで、失礼しました。皆さん、イーラストレイテッドで覚えてください。私の間違いを教えてくれて、●●さん、ありがとうございました」
すると、指摘してくれた生徒は「いえ……」と口ごもる。彼は僕に恥をかかせないように気遣いながら、ことばを選んで僕の間違いを指摘してくれた。中三の子に気を遣わせてしまって申し訳ないなと思った。
ほかの生徒さんたちを含む、場の空気は微妙だ。僕の講師としての信用度は少し落ちたかもしれない。しかしそれは自業自得だ。自分の無知が招いた結果だから甘んじて受け入れる。それよりも、ほかの生徒さんたちにも気を遣わせてしまっているかもしれないので、早く空気を入れ替えて、この先のクラスワークに集中してもらわなければならない。きちんと謝って、訂正して、指摘に感謝したら、切り替えて次へ進む。
今回の illustrated のアクセントについては、最初の生徒さんがイラストレ―イテッドと誤って発音したのを、僕がイラーストレイテッドと直し、その僕の誤りを別の生徒さんがイーラストレイテッドではと指摘した。このやり取りの結果、僕を含めて全員が得をしたのだ。僕はもちろん生徒全員が、この先一生この単語の発音を間違えることはないだろう。
帰宅してこの体験を高校生の娘に話すと、娘は「かつて私が、先生の誤りを指摘して先生がそれを認めたとき、私は [嬉しかった] 」と言った。先生に対する信用をなくしたのではなく、自分の知識の正しさを認めてもらえた満足感があったというのだ。
それを聞いて僕も思い当たった。英国に語学留学をしていた時、英国人の先生がクラスで、ビクトリア時代は1838年から始まったと説明した時に怪訝な顔をしていたであろう僕に、どうした?と訊いてくれたので、1837年からでは?と答えた。その場で辞書を確認した先生が誤りを認め、君が正しいと認めてくれたのがとても嬉しくて、今日にいたるまでしっかり覚えていたのだった。娘と同じく僕は、英国史にまつわるそのことで英国人の先生に対する信頼を落としたわけではなく、純粋に自分の知識を認めてもらえた満足感があっただけだ。でも、いま考えてみれば、先生はあの時、恥ずかしかったかもしれない。昨日の僕のように。
近年まで僕が教えを乞うていた英語の先生は、僕の質問に即答できない場合、知りませんと言うことなく、即座にパソコンの辞書を調べておられた。先生といえども、僕がする英検1級レベルの質問の答えすべてをご存じのはずがない。その場合、つべこべ言い訳を言わずに即座に調べる、そのスタイルをかっこいいと思っていた。
僕も精進しなければならない。あらためてそう思った、恥ずかしくもよい経験だった。
読んでいただき、ありがとうございました。
今神栗八
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?