静岡の地名でみる「しずおか鋳物」の歴史
みなさんこんにちは!
しずおか鋳物の会社、「栗田産業(KURITA)」です。
今回はまだまだ知られていない【静岡】と【鋳物】の関係についてご紹介したいと思います。
【静岡】で有名なものといえば!
静岡茶、まぐろ、桜えび、みかん、メロン etc.
海の恵み・山の恵みなど、富士山を筆頭とする豊かな自然のおかげで、多くの特産品が生まれました。
そんな地理的恩恵を受けている静岡ですが、かつての都・京都と、現在の首都・東京の結ぶ地点でもあり、数多くの歴史をも生み出しています。
鋳物を語るうえでも、外せない地である静岡。
その歴史は「地名」として今でも息づいています。
静岡市葵区横田町(よこたまち)には、こんな石碑があります。
かつてこのあたりは「鋳物師町」という町名でした。
室町時代・今川家の頃からこの名で呼ばれ、江戸時代・徳川家康の頃には、盛んに鋳物づくりが行われていたようです。
一節によると、徳川家康お抱えの鋳物師・山田七郎左衛門と、その弟である六郎左衛門は、各合戦にも同行していたとのこと。
このふたりを中心として、駿府の鋳物づくりは栄えたといえるでしょう。
この弟である山田六郎左衛門が、この現横田町付近に細工所を贈られ、このあたりを「鋳物師町」と称するようになったといわれています。
ちなみに、わたしたち「栗田産業(KURITA)」のはじまりも横田町から。
明治23年に、この鋳物師町と呼ばれていたこの地で創業しています。
さらに徳川家康の隠居後である大御所時代には、権力の象徴として、城下町・駿河の地で貨幣が鋳造されていました。
それは、現在の地名にも残されています。
「駿河小判」などの金貨が鋳造されていた、「静岡市葵区金座町(きんざまち)」。
「日本銀行 静岡支店」をはじめとする有名銀行が、現在このあたりにあるのも、歴史的背景を知ると、なんとなく納得できますね。
「静岡市葵区銭座町(ぜんざまち)」では、「寛永通宝」などの銅貨がつくられていました。
金ときて銅となると、「銀は?」となりますよね。
それもきちんと残っています。
それが、現在の「静岡市葵区両替町」。
ここで当時銀貨が鋳造されていた、つまり「銀座」だったというわけです。
ちなみに「両替町」という名前の由来は、かつてこの地に「両替商」という当時の金融関係者が住んでいたからだということ。
その後、「金座」と「銀座」は江戸に移されました。
この「銀座」を移転した地というのが、現在の東京銀座です。
まさかあの東京銀座のゆかりが、静岡市葵区両替町だったなんて。
地元民としても、驚きであり、光栄なことです。
いかがでしたでしょうか。
残念ながらその後、江戸幕府が倒れ、多くの鋳物師が職を失うこととなってしまいました。
しかし、“鋳物のまち”として歴史あるこの静岡の地で、鋳物文化を絶やしてはいけない。
わたしたち「栗田産業(KURITA)」は、そんな想いをもちながら、日々鋳物づくりにあたっています。
いつか静岡の名産品として、「しずおか鋳物」が挙がるように。
これからも、活動を続けていきたいと思います。
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