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失うことで、気づくこと

僕には今年で94歳になる祖母がいる。
実家で出ているから、会えるのは週末、月に2回会えればいい方(今は帯状疱疹で苦しんでるらしい、頑張れ)。

祖父が他界してからは、祖母は泣くことが多くなった。
認知機能が低下してきており、短期記憶の保持や感情の抑制が効かないことも影響はしているけど、それにしても、祖父がいなくなったことを引き合いによく泣いている。

「おじいちゃんは本当に優しかった」「いい人だったよ」
記憶や思い出が誇大化されている部分もあると思うけど、それでも本当に好きだったんだなぁと祖母の姿を見ていて良く感じる。

ここで、そんな祖母の介護や認知症については語るつもりはない(こちらも、ちゃんと言葉にしたいと思っている)。

今感じていることは、祖父が生きていた頃は、それほど祖母が祖父を好いていると知らなかった、分からなかったことだ。

他界した時はショックもあってかまだ哀しみに途方にくれたりすることは少なかった。

何となく、今の祖母の姿を見ていて、居なくなってから祖父の大切さに改めて気づいたのではないかと思う。きっと僕を含めた家族にとっても祖父はそういう存在だった。

逝ってしまった人を思う時、そこで改めて故人への感情をまざまざと感じる。失ったからこそ、そこに人の存在を感じ、その人と出会った本当の意味を味わうのではないか。

ポケットに入ったままになったものや、大事に握りしめたものは、いつしか感覚が薄れて持っていること自体を忘れがちだ。

来週末は、おばあちゃんに会いにいこう。

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クリタ オサム
ありがとうございます。 見てくださるあなたがいるから、頑張れます。