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『わたなれ』と『あだしま』の違いに学ぶ、「小説のメディアミックス力」とは?

子どもの頃に一番読んでいた本って覚えてますか?
ふと考えていたんですけど、私の場合は……うーん、Wiiの説明書? 次いでモンスターハンター4かどうぶつの森の攻略本かしら。

なんだそりゃと思うかもしれませんが、文章があると読んでしまう人は、案外そんなもんじゃないかなと。たとえ説明書、攻略本、パッケージの裏側であっても、とりあえず読んじゃうタイプの人間っているんですよ。私だけじゃないはず。

いや、本題はそこではなく。
文章を読むのが好きな人は、ほぼ必ず自分で書くようになるはずです。絵や楽曲と違って、文章を書くのに必要なコストはゼロみたいなものですから。

しかし、書き始めると必ず壁にぶつかります。人によって様々な悩みがありますが、私は「分かりやすい文章」と「いい文章」の違いに注目したい。

「分かりやすい文章」は、ある程度トレーニングを重ねたら誰でも書けるようになります。分かりやすさには科学のような法則があり、それを忠実に守るだけで改善できるからです。PREP法とかね。
実際、ビジネスシーンでの利用であれば、分かりやすさだけで問題ないでしょう。

しかし、小説となるとそうもいかない。
太宰治や宮沢賢治などの文豪が書く文、いわゆる「いい文章」を書くのは非常に難しい。そこに分かりやすい正解はなく、美的感覚の問題になるからです。

小説家志望の方は、そういう「美的感覚」で真っ向勝負をしようとすると、本物の天才に打ちのめされてしまう可能性が高い。

だからこそ、まずは分かりやすさを磨くべきなのですが、それ以外にも戦い方はあると思っています。
それが今回「わたなれ」と「あだしま」を分析して気づいたことなのです。

似て非なる二つのライトノベル

そもそも「わたなれ」って何? 「あだしま」って何? と思う人が多いでしょうから、まずは軽い概要から。

「わたなれ」こと『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)』はみかみてれんさんによるシリーズ作。同じく「あだしま」こと『安達としまむら』は、入間人間さんによるシリーズ作です。どちらもいわゆるライトノベルと言われるもので、基本的には女性の恋愛が主軸に置かれています。

主人公が女子高生で、現代を舞台に学生同士の恋愛が主軸になる作品。概要やジャンルに限って見れば、両者はわりと似ています。
しかし、実際に読んでみると、全く異なる読後感を我々に与えるのです。

緻密な文章で二人にフォーカスする「あだしま」

『安達としまむら』は、その名が示す通り女子高生の「安達」と「しまむら」が主人公。この二人の距離が徐々に近づいていく様子を描いています。

特徴的なのが、全体を通して二人の関係性の掘り下げに徹底していること。二人以外の登場人物もいるにはいるのですが、あくまで添え物でしかないのです。安達が何を思ったか、しまむらが何を感じたか。二人の思想や感情、見て、聞いて、触れたことの表現にフォーカスしています。

漫画版『安達としまむら』2巻より。これ以上分割できないほど細やかな心理描写が今作の見どころです。

二人はどこにでもいる女子高生なので、日々の出来事に大きな波があるわけでもありません。せいぜいショッピングモールまでお出かけするとか、修学旅行に行くとか、あったとしてもそれくらい。行動範囲は非常に狭いですし、そこで起きるイベントに、ド派手なものは何一つとしてありません。

でも、そこが今作の魅力なのです。
無駄を極力削り、タイトル通り「安達としまむら」に集中しているからこそ、読者は二人の世界に深く入り込める。まるで、二人が現実に存在するかのような質感を感じられるのです。

派手で楽しく、とにかく動きまくる「わたなれ」

一方の『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)』こと「わたなれ」はどうなのか。余談ですが、このタイトルを見る度に、落語の寿限無を思い出す。本当にどうでもよくてすみません。

あだしまを読み終わった後にわたなれを4巻まで読んだ感想としては……騒がしい!
書籍で騒がしいってなんだよと思うでしょうが、本当に騒がしいんですよ。

まず、単純に登場人物が多い。主人公が学校内で所属するクインテットと呼ばれるグループがあり、主人公含めて5人。さらに主人公の家族がいて、クインテットを取り巻くキャラクターがいて……と、あだしまと比較するとやたら多い。いや、これが普通なんですけどね。

そんなクインテットの面々は、各々が強烈な個性を抱えています。誰もが羨む絶世の美女に優しすぎる天使、コスプレイヤーなどなど。設定を見ているだけでお腹が膨れてきそうなキャラばかりです。

『ささやくように恋を唄う』の竹嶋えくさんがイラストを務めているのもあり、キャラデザ・作画パワーは絶大です。ライトノベルはイラストが大事とよく言われますが、その気持ちも分かる気がします。

単行本1巻より。キャラデザの大切さがよく分かる1枚。

加えて、キャラがとにかく動きまくる、喋りまくる。
行動範囲が居住エリアに限られていたあだしまと比べると、天と地の差があるように感じます。
一巻の冒頭ではいきなり、主人公が不注意で学校の屋上から落ちるし、後半では謎のパーティー会場に足を踏み入れるし……キャラもストーリーも、とにかく落ち着きがない!

個人的に好きなのが台詞回しです。
この作品、とにかく一つ一つの台詞が面白いし、印象に残るんですよ。特に、主人公のボケとツッコミは最高の一言。

わたし急用を思い出すね!

みかみてれん『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)4』

コロして……!  香穂ちゃん、お願い、わたしをコロして!  今ここでわたしの人生の命脈を断ち切って!

みかみてれん『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)4』

なにがブスだ!  家の鏡ぜんぶ割ってあるのか!?  

みかみてれん『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)4』

なんてことのないシーンでも、この面白さ。
読んでいて「この台詞にCVが付いたら、それだけでめちゃくちゃ面白いだろうな……」と思わされます。ボイスドラマやアニメとの相性は、言うまでもないですよね。

実はこのライトノベル、並行して漫画版が連載されています。
なので、最初からメディアミックスを意識して作られていると言っても過言ではありません。動きが派手なのも、台詞がいちいち面白いのも、漫画やアニメになった時のことを考慮していると考えれば、ごく自然なのです。

あと、これはあくまで個人の考察として聞いてほしいのですが。
このシリーズは、クインテットの各キャラにフォーカスしたのち、4巻でひと区切りを迎えるんですね。

もしかして、アニメ化した時にちょうど1クールで終わるように4巻で区切ったのでは? さすがに考えすぎですかね?
ただ、もしその辺も意識していたらガチですごいなと。

このような特徴は、作者の実績あってこそだと思います。
というのも、みかみてれんさんは、ゲーム『Link!Live!ラブライブ!』のメインシナリオや、漫画『ブラック・ブラック・ロータス』の原作を務めている方。様々なメディアへの関わりが、本業の小説にも活かされているように思えるのです。

「才能」だけで勝負しない

ここまで二つの作品の違いと魅力を紹介してきました。
で、結局のところ何が言いたいのか?

まず、わたなれはメディアミックスを意識していてすごいぞ! とベタ褒めしていますが、じゃああだしまがダメなのかというと全然そんなことはない。そこは勘違いしないでくださいね。
あだしまにはあだしまにしか表現できない、唯一無二の世界があります。

ただし、小説家志望の方が学ぶなら「わたなれ」だと思います。
あだしまは読めば分かる通り、展開自体はすごーく地味です。では、なぜ漫画家・アニメ化するコンテンツにまで成長できたのか。それは単純に、作者の入間人間さんには圧倒的な文章力があるからなんですよ。これがほぼ全て。

先述した通り、「いい文章」に正解はありません。言語化できない才能の領域です。そんな世界で、一般小説家が文章の力だけで真っ向勝負を挑もうとすれば、鼻をへし折られてしまいます。少なくとも、あまりおすすめのやり方ではない。
では、どうするべきか?

「わたなれ」のようなメディアミックスのしやすい作品づくり、いわば「メディアミックス力」で勝負するのは一つの手だと思います。
なぜなら、これはある程度の勉強と努力で計算して入れられるからです。

もちろん、楽な道ではありません。メディアミックスを考慮する場合、様々なメディアやコンテンツに精通し、知見を深めておく必要はあります。しかし、言語化しようのない「才能」の領域で戦うよりも、勝率は大幅に上がると思うのです。

「わたなれ」に学ぶこと多し!
てなわけで、ライトノベルを書こうと思っている方は、「わたなれ」を読んでみてね! という創作論に見せかけた布教noteなのでした。

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