『安達としまむら』に、思うこと
※安達としまむら1巻~11巻、SS、99.9を読んだ上でのnoteです。
安達桜
しまむらと卓球をしていた頃のクールな安達を、私はもはや覚えていません(笑)
むしろ1巻の中でさっそくしまむらとキスをする夢を見てて、「こいつ正体現すの早すぎる」と思ったものです。
それまでずっと無味無臭な人生を送ってきた安達。友人らしい友人はおらず、家族仲も良くなかった彼女は、他の人が経験するようなことを全部すっ飛ばして恋の沼に頭から突っ込んでしまったわけです。そりゃあたふたして挙動不審になってしまうのも仕方ないよなあと思うのです。
でもそれは必ずしも悪いことじゃなかったと思います。愚直に、猪突猛進にしまむらに近づこうとするその姿勢が、真面目なことを恥ずかしがるしまむらにはむしろ印象的に映ったのですから。
事あるごとに顔を真っ赤に染めるので、しまむらにいろんな風に例えられているのが面白かった(笑)
安達がしまむらと同棲するために家を出る回が、個人的に読んでてすごくしんどくて。
かつて働いた中華料理屋に行っても、知り合いに出会っても、心が動くことはなく。結局、町の中にも、家の中にも未練が存在せず、自分にはしまむらしかいないんだと自覚する羽目になる。
「私には貴方しかいない」って、一生に一度は言われてみたいロマンチックな言葉にも聞こえますけど、安達の「私にはしまむらしかいない」はガチですから。本当に言葉通りの意味なんですよ。
それはつまり、しまむらのためだけに生きているということ。安定しているようですごく不安定な彼女を見ていると、私の心は否応なしにかきたてられます。
だからこそ、しまむらの方が長く生きたことが99.9で明らかになった時はすごく安心しました。彼女にとって最大の不幸は回避されたわけですから。
しまむらといつまでもお幸せに。
島村抱月
ゆっくり、けれど着実に揺れ動いている思春期のしまむらの心境は、まるで中高生の時の自分を見ているようでした。
まだ何も知らなくて、明るい未来しか見えていなかった小学生時代のしまむら。
離れていく親友や大好きな犬の老いを目前に、自分にはどうすることもできない苛立ちばかりが募り、そのフラストレーションをあちこちにぶつけていた中学生のしまむら。
それら全てを経験した上で、天然睡眠大好きガールになった高校生のしまむら。
どのしまむらも魅力的で大好きです。
おそらくは犬の影響もあるのだと思うけど、死生観や人との出会い(うんめー)については結構考えている。作中でもその辺を一番真剣に考えているのではないだろうか。
何も考えていないようで実は思慮深い、そんなところも好き。
人並み以上に人生や生死について考えているところが、おそらく自分と重なっているのだと思う。しまむらが哲学的な思想を頭の中で巡らせる度に、自分は密かに共感していました。他の人には恥ずかしくてなかなか言えないんですけどね。
序盤を読んでいると、安達からしまむらに対する愛が圧倒的に大きいように見えるけど、実はしまむらも結構安達のことが大好きだ。特に最新の刊になっていくにつれてしまむらの心境が明らかになっていくので、それがすごく嬉しかった。
最後にヤシロに頼み事ができてよかったね。
これで二人の運命は永遠に確定したのだ。
どんな時代の、どんな世界線の安達としまむらも、絶対に出会うことができる。なんだか仏教的だけど、これ以上ないハッピーエンドだと思う。
中学生時代に悩んで荒れたあの頃の苦しみが、完全に報われたと言っていいんじゃないかな。
安達といつまでもお幸せに。