見出し画像

未来への手紙

過去自分が書き溜めた詩を読み漁っていて
いつの間にか忘れてしまった気持ちや考えとか
霞んでしまっていた想いとかに気付かされることが多い。

このnoteでの記事も
いつか読み返したときに
その時に忘れてしまっている何かを
思い出させてくれるんだろうとふと思った。

自分の言葉で綴られた文章だからなのか
またひと味響き方が違うようにも感じる。

今読んで感じること思うことは
後に読んだときとはまた違うことを感じ思うのだろう。

過去の自分の言葉は
未来の自分にも響く言葉であって欲しい。
なぜなら
自分に響かない言葉が他人に響くとは思えないからだ。

自分も含め
誰かの心に残り
背中を押すことができるなら
笑顔を護ることができるなら
前を向くきっかけになるなら

今この瞬間紡ぐ言葉も想いも
きっと意味があるんだと思う。

時間に埋もれた過去の自分の言葉も
今の自分の言葉も
未来への手紙のようなものなのかなって
明日以降の自分へ贈るタイムカプセルのような
そんな存在に近いものなのかも知れない。
書き続けることに
大した理由がなくても
立派な大義名分があってもなくても
綴られた言葉達は
どこかへと繋がっていくことだろう。

でも時々
この瞬間がどこに繋がっているのかを
ものすごく知りたくなるときがあって
どうしても知りたくなるときがあって
論理的にも様々な方面から考え想像をしてみても
全く見当もつきやしない。
そんなことが頭を巡っては
ため息と共に諦めて
気付けばいつの間にか眠ってる。

考えてわかることと
わからないことがあるように
知ろうとしても
見ようとしても
霧に包まれているかのように
時が満ちるまで
それは姿を現さない。

しかしながら
求めない限り
決して答えは見つからない。
見えるものも見ようとしないと
決して気付くことはできない。


今はそんなことを思っている。
将来の自分がこれを読んでどう感じるのか
皆さんがどう感じるのか
それはわからないけど
これを読み返したときに
何かを感じ取ってくれたら
あわよくばいい受け取り方をしてくれたら
そんな都合のいいことを考え
ここに残すことにする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?