【要約・書評】『人生は運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』(ふろむだ)
・はじめに
ふろむださんの著書『人生は運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』から学ぶ、社会の生き抜き方についてその要約と考察をベースに書き連ねていきます。
3,000文字くらいなので約5-6分で読めるかと思います。
・錯覚資産とは
ではまず、タイトルの通り人生において運よりも実力よりも必要だとされている「勘違いさせる力」とは何なのか、というところから見ていきたい。
本書では、その力のことを「錯覚資産」と呼んでいる。まず著者による定義は、
錯覚資産:人々が自分に対して持っている、自分に都合のいい思考の錯覚のこと。であり、それは一種の資産として機能する。
図示するならば、
こんな感じだろうか。
実力や運以上に人生に必要、とまで言う割には思考の「錯覚」であるらしく、しっくり来ない。そう感じたのが僕の第一印象であった。
ただ、様々な実験結果から実証されているようで、人間には大量に思考の錯覚が潜んでいて、しかもその思考の錯覚に陥っている事に気づかないという思考の錯覚も持ちあわせており、二重の錯覚によるがんじがらめなのだ。
簡単に言うと、どれだけ公正に実力で判断していると思っていても、実際は容姿や学歴や肩書や素晴らしい成果によってその殆どを判断しており、にもかかわらず判断した当の本人は「公正に実力で判断した」と強く自認してしまう、それが人間なのだ、ということだ。
となると、実力をつけることももちろん大事だが、どれだけ実力のある人間なのかを勘違いさせて過大評価させる力のほうがもっと大切だというのがこの本の論の展開となっているわけだ。
・錯覚資産は人生にどう活きていくのか
では続いて錯覚資産という概念を用いて人生成功のループを紐解いていきたい。(ここで「成功」とはそもそも何なのかといった込み入った議論は避ける。)
まずはこの図を御覧いただこう。
実力があれば、成果が出て、成果が出たことによってより良い環境にたどり着くことが出来て、そんな環境ではより実力のつく挑戦ができる。
そんなループを表している。
実際このループをすんなり受け入れられる人は多いのではないかと思っている。
ただ、そのループは現状に即していないと糾弾するのが著者だ。次の表をご覧いただきたい。
(ループなのでどこを起点にするのかの議論に意味はないとして、仮に実力からスタートさせると、)実力があれば成果が生まれ、成果が生まれればそれが錯覚資産となって、錯覚資産が評価されることでよりよい環境が生まれて実力つくのだという。
なぜなら、人間には思考の錯覚があるゆえに「実力そのもの」であったり、「錯覚資産化させにくい成果」を高く評価することは出来ないからである。(思考の錯覚については詳しくは後述する。)
【MEMO】
成果の錯覚資産化:成果が錯覚資産として成立するのかどうかは、「成果自体の錯覚資産化のしやすさ(数値化できるのかどうかetc.)」と「その成果のアピール量」との掛け算で決まる。
だからこそ実際に実力や成果があるかどうかよりも、より大きな錯覚資産を築き上げた方が良い環境に到達しやすく、良い環境に行けば自ずと実力がつき、成果も残るということだ。
しかもそれだけではとどまらない。下図のように錯覚資産がそのまま成果を生む場合だってあるのだ。
例えば、たまたま著書を大ヒットさせた人がいるとする。その人の次の著書は、その著書の面白さや出来栄えに関わらずに再び大ベストセラーとなる可能性が高い。それは、まさに前回作がたくさん売れたという成果が錯覚資産化することで、次の作品も面白いに違いないというバイアスが働いた結果なのだ。
それでも、その本の購入者にとって、自らの購買行動が、前回作で売れた冊数に大きな影響を受けたとは微塵も思っていないことがほとんどである。
さらにさらに下図を見ていただきたい。
良い環境がそのまま成果を生むループだって存在しそうだ。例えば、良い営業成績を上げた社員が、よりレベルの高い社員が集まる環境にアサインされたとしよう。その社員自体の実力についてはほとんど変化がなかったとしても、より良い顧客がより多く獲得できる環境であることや、その環境に所属しているという事実自体が錯覚資産化することで、さらなる成果を上げることは想像に難くないはずだ。
この表を見ても一目瞭然の事実が2つある。
①実力がつかなければ1つのループ(図中の黒線)が回らなくなるということ
②錯覚資産がなければ全てのループが回らなくなること
が挙げられる。
錯覚資産の重要性に気付けたのではないだろうか。
・思考の錯覚まとめ
ここでは思考の錯覚に関わる認知バイアスについていくつかピックアップして箇条書き形式で紹介していく。
①ハロー効果
1つのプラス(もしくはマイナス)の属性値に引っ張られて、他の属性値も引き上げられてしまう現象。
高い成果Aのおかげで大したことない成果Bも含めて高く評価してしまうというバイアスである。
②運を実力だと錯覚する
運によるたまたまの成功であっても何か明確な原因があると感じてしまう錯覚。人間はすべての出来事をその原因が何なのか(その正しさは問わず)結論づけておくことで身の回りのことをコントロール可能であると思いたくて仕方がない生き物である。
③利用可能性ヒューリスティック
脳の、すぐに利用できる情報だけを使って答えを出そうとしてしまう傾向のことをいう。「思い浮かびやすい」内容を過大評価する傾向とも言える。同時に、思い浮かびにくい内容を軽視し、無視する傾向である。
④感情ヒューリスティック
好きなもののメリットを過大評価してリスクを過小評価する、また、嫌いなもののメリットを過小評価してリスクを過大評価する傾向のこと。
好き嫌いが評価判断に大きな影響を与えているということ。
メリットを強く感じるとリスクを過小評価してしまうこともある。メリットとリスクは本来独立していて別個で評価されるべきであること自体は頭では理解している筈なのに、である。
嗚呼、人間の思考の錯覚は枚挙にいとまがない。
・錯覚資産を雪だるま式に増やしていく
錯覚資産がいかに大切なのか、またその信憑性について上述してきたが、ここでは実際に錯覚資産を増やしていくための構造化をしていく。
まず、錯覚資産には以下の3つの次元がある。
①錯覚資産の種類
②錯覚資産の強さ
③錯覚資産の範囲
これらの掛け算で錯覚資産の大きさは構造化して捉えることができる。
①錯覚資産の種類に関して、前章であげた「ハロー効果」・「利用可能性ヒューリスティック」・「感情ヒューリスティック」等が挙げられる。ハロー効果を引き起こせそうな成果を残すことであったり、常に周りの人たちにとって「思い浮かびやすい」自分でいることによって利用可能性ヒューリスティックを引き起こし、周囲の人に自分のことを好きになってもらうことによって「感情ヒューリスティック」を引き起こすといった具合だ。
そしてそれらの築き上げた錯覚資産がどれだけの強度・大きさ・インパクトも持っているのかという側面が②にあたる。
そして最後に、③錯覚資産の範囲に関しては、携えたその錯覚資産のことを認知してくれる人の量の質が大事になってくるということだ。質というのは、例えば会社員であるならば、良い環境を得るためには自らの錯覚資産を認識してほしい相手は同僚ではなくて人事評価をされる上司であろう。数という概念だけでは簡単に表せないため、質も記載している。
例えばハロー効果を錯覚資産として機能させる例について考えてみる。
【錯覚資産の大きさの方程式】
ハロー効果という錯覚資産の大きさ
=「成果がもたらすハロー効果の強さ・大きさ」×「その成果の思い浮かびやすさ」×「思い浮かぶ人の数」×「思い浮かぶ人の質」
上記の4次元で錯覚資産の大きさを捉えることが出来る。もっというと、ハロー効果から、別のものとして、好き嫌いの認知バイアスである感情ヒューリスティックをベースにした錯覚資産に変えればまた別軸での錯覚資産を築くことができるので、5次元と考えてもいいかもしれない。
この構造をもとに実生活でも行動に落とし込めば、より効率よく錯覚資産を築き、より良いライフが送れるはずだ。
・まとめ
錯覚資産をうまく利用しながらよりよい環境に進み、より大きい実力をつけるポジティブループに入ることを目指すのと同時に、他者の錯覚資産に騙されて自らの人生における価値判断を誤ってしまうことは避けたい。判断が難しい問題であればあるほど人間の直感は当てにならない。その事実を噛み締めて自分の思考が陥っている悪癖を認識し、戦い続けていくことが愚民に成り下がらないために必要なマインドセットなのかもしれない。
ではまた。