メンバー談 我が家が薄荷農家だった頃の情景
我が句会のメンバーである和多部夏生さんはかつて薄荷農家でした。
今回、和多部さんから実家が薄荷農家だった頃のお話を伺いました。
薄荷について思い付くまでに。
わたしが小さい時からハッカはあった。学校帰り家に近付くとハッカの匂いがプーンとしてきた。ハッカが釜から出されたところだ。ほわほわと湯気けむりの立つなか、4、5人でハッカの蒸留処理をしている。
ハッカはシソを小さくしたような植物である。枝がはって草丈50センチ位になる。秋に畑から根を堀とり、筋に植えてゆく。春になると芽が出て延びていく。お盆近くになると伸び切ったハッカからすっきりとした香りが辺り一面に漂う。ハッカ生盛の時期である。そんななかでわたしは育った。9月になるとハッカの刈り取り。2ヘクタールほどの面積を4.5人で手で刈り取る。妙な置き方をして5ないし6日かかって刈り取る。一方では、ハッカを乾燥させる稲架(はさ)を作る。
穴を掘って柱を立て横棒を取り付けてゆく。穴を掘るのがツラいこと。大きな石があったりして中々巧く掘れない時がある。やっと稲架が出来ると夜なべをして稲架かけをする。このようにして乾燥を待つ。
一月くらい他の畑仕事を終わらせ、ハッカの蒸留である。稲架から降ろされたハッカは蒸留所へ運ばれる。大きな釜に入れられ約二時間蒸される。蒸留で溜まったハッカ油は別のところから取りだされる。その薫りのきついこと。
一斗缶につめられる。
これがハッカ蒸留の大体の行程です。
全盛期の頃は一月位この爽やかな空気の中で暮らしていました。
あの爽やかな空気が漂う事ってもう経験出来ないでしょうね。
後日談
ハッカの事を考えると、ある時ずっと続いていたはずのハッカ栽培。国道が付くので自分の所有地を国に買いとられやむなく自有地にあった施設を処理されることに至り断念した次第です。あの事がなければ父の志望であったハッカ栽培が続いていたかもしれません。
でも時代の流れで次第に農業形態も大きく変わりハッカ栽培は形を消すことに成ったのです。仕方ないですね。
薄荷の季語として「薄荷刈る」「薄荷刈」「薄荷水」(以上夏の季語)、「薄荷の花」「花薄荷」(以上秋の季語)があります。
歳時記では薄荷は夏と秋に二回収穫するとされています。恐らく和多部さんの収穫は二回目の収穫時期であっただろうと思われます。お盆近くに咲く薄荷の花が畑いっぱい香っていたことでしょう。
今回新しい試みとして下記の企画を行なっております。
句会でありながら、一般の方からも薄荷・ミント俳句を公募。選句ではこの公募した句も併せるスタイルです。
いずれはスポンサーを募って企画として続けていきたいと思っております。
今回はそういう意味でテスト的な句会になりますが、一般の人にも俳句に触れてもらう良い機会になれればと思っております。