誰かを傷つけてでも、かなえたい夢がある。~備忘録『ビリー・エリオット』~

 炭鉱不況にあえぐ町には怒りのエネルギーが溜まっています。炭鉱を閉鎖しようというサッチャー政権への怒り。ストライキを鎮圧にかかる警察への怒り、スト破りをする「裏切者」への怒り、何よりも、先行きの見えない日々への怒り。
 怒りは暴力へと繋がり、ビリーの兄トニーはナイフを手にします。警官に両足を折られた仲間、報復の連鎖。

 怒りは荒んだ心に繋がります。町の人たちは子どもたちを含め、どこか投げやりで、無気力なのでした。ビリーもまた、母亡き後、父からの愛情を確信できず、認知症の祖母の面倒を見る日々に、心を疲弊させています。嫌いなボクシングを無理やり習わされ、鬱屈はたまるばかり。

 そんなある時、紛れ込んだバレエ教室が、ビリーを変えます。踊りに魅せられ、彼は夢を抱くのです。最初は自分の才能にも半信半疑で、家族の反対を押し切るほどには確信が持てません。秘密のオーディション行きがばれた時、激怒して反対する父と兄にビリーは屈してしまいます。父に対する怒り、ままならない日々に対する怒り、そして不甲斐ない自分自身への怒りをぶつける1幕終わりのダンスは圧巻でした。

 きちんと怒れることって大事だなと思います。ビリーは正しく怒り、心の淀みを吐き出したことで、最後に残った「踊ることが好き」という気持ちに気づくことができたのだと思います。気づいてしまったら、もう止まりません。傷ついても、誰かを傷つけても、ビリーは夢を追い続けるのでした。

 ウィルキンソン先生も、そう。
 町でバレエを教える先生も、鬱々とした怒りを抱えていました。彼女は恐らく若い頃はそれなりに名の通ったダンサーで、結婚&出産でキャリアを絶たれた。夫婦仲も良いようには感じられず、夢を託したくとも、娘にはやる気も才能もない模様。そこにビリーが現れました。彼に才能を見出したウィルキンソン先生は、たぶん最初はビリーに自分の夢を重ねていたのでしょう。だから彼が逃げた時、一度は見捨ててしまう。
 ビリーの父や兄の無理解に怒り、ビリーの不甲斐なさに失望し、もうどうでもいいと投げ出しそうになり、でも投げ出せなかったのは、ビリーの情熱と才能に魅せられたから。
 ウィルキンソン先生は本当に踊りが好きなのでしょう。ビリーの父や、他の大人たちのように、沈む町からビリーだけでも飛び立たせてやりたい。という気持ちは、先生からはあまり感じられません。ただ、才能がある者はそれを生かすべきだと思っているようです。

 ビリーの兄トニーは、いつでも怒っています。サッチャー政権にも、警察にも、頼りない大人たちにも、現実を見ようとしない弟にも。
彼、ビリーと何歳くらい離れているんでしょうね。10歳くらいかな、もう少しかな。父親と違って、トニーはなかなかビリーを応援する気持ちになれません。町の一大事にダンスなんかにうつつを抜かす弟を理解できないのです。
 父親はビリーのダンスを見て才能を感じた時、その夢をかなえてやりたいと思います。夢を応援するというだけでなく、子どもには別の世界を見せてやりたい。未来のないこの町から飛び立たせてやりたいという思いです。そのためなら仲間を裏切り、スト破りをすることも厭いません。
 トニーは、その心情になるには若すぎる。彼も、辛いなあ。

 トーべ・ヤンソンの言葉に「本当に大切なものがあるのなら、他のもの全てを無視していい」というのがあって、ずっと「そうだよね」と「本当にそうかな?」の間をぐらぐらしていたけれど、『ビリー・エリオット』を観たら「そうだよね」に傾きました。

 ビリーは繊細で優しい子どもだけど、したたかな面もあるのが良いですね。町の期待を一身に背負わされても、重荷と感じてつぶれるたまじゃない。彼は振り返ることなく、広い世界に飛び立っていくのです。親友マイケルは町に残り、炭鉱夫たちは今日も暗い地下へと潜っていく。ランプの明かりが心に残るラストシーンでした。