海外進出に備えて ~【櫻坂46】日本文化の担い手とは~
『うたコン』(NHK)で「流れ弾」が披露された時、今回のパフォーマンスが素足であることが話題となっていた。赤いドレス衣装に素足という格好が奇異に感じられたようで、MCの谷原さんが衣装の意図するところを質問をしていた。そこで、菅井キャプテンから「むきだしの感情を表現するため」という理由が明らかにされる。
「Dead end」のMVでも、最初は「コート」を着ているメンバーたちが、走り出した後に、それを脱ぎ捨てるという演出が採用されているが、体を覆っているものを脱ぐことで、社会性や日常性からの解放を表現しているのだろう。
ヨーロッパにおいて、20世紀初頭にモダンダンスが生まれたときも、それまでの正統的な舞踊であったバレエ様式からの解放として、バレエ衣装を脱ぎ捨て、裸足で踊ることで自由かつ開放的に踊るスタイルとなったという。
舞踊芸術の観点から、今回の振付が、バレエからモダンダンス、ポスト・モダンダンスを経た後に生まれてきたコンテンポラリーダンスと呼ばれるものに近いことがわかるだろう。
コンテンポラリーダンス自体、「非古典的かつ前衛的で、時代の先端を体現しているダンス」という曖昧な定義しかないようなので、どのようなものでもバレエやモダンダンスなどに該当しないものは、ほとんど含まれてしまうようだが、時代の先端を体現するだけに奇異にみられがちなのも事実である。
「流れ弾」の振付やMVを見ていると、どうしても欅坂46時代の「エキセントリック」を思い出してしまうのだが、TVで初披露した時の様子をメンバーがSHOWROOMで振り返りながら話す場面があった。
このような会話を見ても、彼女たちの中にも、一定のアイドル像やパフォーマンススタイルが存在していて、「エキセントリック」の振付は、そこから逸脱しているものであることを認識しながら、パフォーマンスをしていたことがわかる。
パフォーマンスの中で、片方の靴を脱ぎ、そのままの姿で踊り続けている様子は、ファンにとっては、MVの再現であると認識できるのだが、そのような知識がない人にとっては、まさに奇矯な姿に映っていたことだろう。
TAKAHIRO氏が、歌詞の世界観を忠実に再現し、どのように振り付けたら、それが伝わるかに注力していることが、このような発言からもわかる。
「流れ弾」の振付も、同様の演出から生み出されたものであるのだろうが、「素足」というインパクトは、社会性や因習からの逸脱という面が過度に強調された形で認識されてしまう場合があるかもしれない。
特に、日本以外でパフォーマンスをする場合や、MVを世界に発信する場合などには、それぞれの国や地域の文化に抵触する部分が無いか、注意する必要があるだろう。
日本では、新しい表現と好意的に受け取られるものでも、海外では眉をひそめるような行為と受け取られてしまう可能性を考慮に入れるべきである。特に「裸足」は、国や地域によって、さまざまな認識があるので、余計な誤解を生まないための対策が必須であろう。
海外進出を念頭において活動を続ける場合、「日本らしさ」を意識することは当然である。
しかし、現代では、受け手側の認識レベルが非常に高くなっていることもあり、特に、日本だからと言って、「キモノ、カブキ、フジヤマ・・・」などを前面に出さなくても、日本でやっていることをそのまま披露しても理解してもらえるようになってきている。
PerfumeやBABYMETALが海外進出した時も、日本でやっていたパフォーマンスをそのまま披露して、熱狂的に受け入れられ、賞賛を博している。
「櫻坂46」という名前には、日本を象徴する花の一つである「桜」が入っていることから、海外でも日本的という印象ですぐに受け入れられるだろう。
また、オタク文化も広く海外で知られるようになっているため、その中に含まれる「アイドル」という要素も日本的なものと言えるだろう。
そのため、あえて日本的なものをやらなくても、海外で「日本」を感じさせる要素が、「櫻坂46」には既に備わっていることになる。
となると、海外でより受け入れられるためには、海外の文化的な土俵に立ちつつ、他では真似ができない「櫻坂46としての独自性」を打ち出していくことが求められるだろう。
Perfumeが、海外で「日本的」と評価された部分は、ダンスとデジタル技術との融合によってもたらされる「緻密さ」と、その中に含まれる「情報量の多さ」や、それらを表現する時の「繊細さ」であったという。その結果、日本での演出を一切変えず、歌詞も日本語のままでも、立派に芸術として認められている。これは、振付のMIKIKOさんが、海外で学んでいた時に、文化的な背景やフィジカルという面で、彼らと同じことをやっていても、到底追いつくことができないと思い知らされた体験から得たものであるらしい。
彼女の素晴らしいところは、「ダンス」という西洋の伝統的文化にしっかりと軸足を置きつつ、海外にはない日本の最先端技術を取り入れ、緻密にパフォーマンスを構成していった点であろう。
演歌や日本舞踊など、そもそものところで、海外にその土壌がないものを提示しても、特異なものとして面白がってもらうことはできるが、受け手側に価値基準がないことから、リスペクトされるレベルにはなかなか到達できない。
その点、彼らの文化的基盤である西洋音楽やダンス、オペラなどをベースとすることで、目の前で行われているパフォーマンスが、どのレベルのものであるのかを認識してもらうことが容易になってくる。
日本のシティポップが海外で再評価されているのも、洋楽の形式をとりつつ、日本文化の独自性(=新しさ)が感じられるものとして受け入れられていることの表れである。
アメリカでの活動やワールドツアーなどによって、海外の聴衆の反応を直接肌で感じてきたTAKAHIRO氏の本領を発揮する場所として、櫻坂46は絶好の機会と言えるだろう。
自身の実体験から生み出されたTAKAHIRO氏の言葉には、学ぶべきところが多い。
次の武道館ライブやアルバム、4枚目シングルなど、これからの楽しみは尽きることなく続いていく。
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