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言葉を大切にする姿勢 ~【櫻坂46】「革命」は日本の風土になじまない? ~

 ライブや音楽番組でのパフォーマンスを重ね、毎回少しずつ成長を続けている彼女たち。
 3枚目シングル『流れ弾』をリリースするとき、メンバーから「今回のパフォーマンスは『革命』になると思います」という発言があった。
 確かに、今までと比較して、大きな冒険とも思えるほど、激しく狂気を帯びた野性的なパフォーマンスとなっており、クールで都会的な路線からは大きく逸脱している。
 また、通常盤のジャケットにも、フランス7月革命を題材としたドラクロワの『民衆を導く自由の女神』を彷彿とさせる画像が使われており、「これから革命を起こすぞ」という彼女たちの意気込みが感じられるものになっている。

 そもそも「革命」という言葉は、どのようなことを意味しているのだろう。
 世界史などで出てくるように、「国家権力の政治的転換」という意味が一般的であるが、ふだんの会話などでは「ものごとをある状態から他の状態に急激に変化させる」という意味で使うことが多いだろう。
 日本では、「情報革命」「エネルギー革命」などの使用例をよく目にするが、本来は、「元あったものをゼロにして、新しく作る」という意味がある。
 「革命」という言葉は、中国の『易経』の中に見ることができる。

「湯武革命、順天、而応乎人」
湯武命をあらたむるや、天にしたがい、人に応ず

 このように、「天命があらたまる」という意味で使われている儒教上の言葉であったのだが、明治時代に、「revolution」を翻訳する際に、この文字が使われるようになった。

 ところが、日本では、中国などの諸外国で見られるような政治的革命は、ほとんど起きていない。わずかに、北条泰時による「承久の乱」が日本で起きた唯一の例とされることが多い。
 どんなに政権がかわっても、天照大神以来の皇統を受け継ぐとされている天皇が最高の権威者であるという形式が崩されることはなかった。
 この影響か、日本人は、新しく何かを受け入れても、元あったものを持ち続ける傾向がある。飛鳥時代に仏教が入ってきたときも、神道を続けたまま、共存する道が選択されている。儒教や道教、キリスト教など、あらゆる宗教や文化を受け入れ、現在でも、それらに触れることができるというのが、日本文化のやり方である。
 中国の古典である「四書五経」などは、本国では入手できないので、日本に輸入された昔の写本などが原典となることが多いようで、それを中国の大学などでも研究に使用していると言う話を聞いたことがある。中国では、政権が変わる度に、元の文化をゼロにして、新たに上書きしていくという歴史が繰り返されてきた。このことが原因で、それまでの貴重な文化が根絶やしになっているため、日本から逆輸入する必要があるのだ。
 シルクロードの終着点であった日本には、さまざまな文化が、受け入れた当時のままの形で残っている場合が多い。正倉院にある宝物をみても、それを実感することができるだろう。

 欅坂46から改名したことで生まれた「櫻坂46」。
 この大きな変化は、その衝撃ゆえに、まさに革命的な出来事であったかもしれない。
 しかし、本当の意味での「革命(=元を破壊して、新しいものをつくる)」ではなく、元あった良いところはしっかりと維持したまま「進歩発展」させるという成長方法が正解ではないだろうか。
 彼女たちも、そのような意味で「革命」という言葉を使っているわけではないだろうが、言葉が持つ力は馬鹿にならない。そのことは、歌詞を大切にして、パフォーマンスをしている彼女たちが一番よく実感していることだろう。
 彼女たちの意気込みとやろうとしていることを考えると、「新しい分野や領域を切り拓く」という意味で「新境地の開拓」や「新分野の開拓者」という言葉がちょうどよいのかもしれない。
 言葉の担い手であり、楽曲のメッセージを届ける表現者として、このように小さな違いもないがしろにしない姿勢は、非常に大切である。

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