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いかり豆
20代前半の記憶。
実家へ帰省する1番の楽しみは、父の晩酌に付き合うことだった。
共通の趣味というか趣向が近いので(幼少より仕込まれた結果だろう)私にとって父は1番の話し相手だった。
父のおつまみはいつもいい加減だ。ある時はプロセスチーズの塊を目の前に置いて適当にナイフで削っていく。
ある時はからまったサキイカを新聞の上(もちろん読みかけ)に広げて解しもせずにつまんでいたり。
この日のおつまみはいかり豆。新聞の上に殻を落としながら食べていた。時々殻を手で払っては油染みだらけになった紙面に目を通す。(父は朝から晩まで新聞を離さない)
「この前《真夏の夜のジャズ》を観たよ。」と私が切り出す。
『おー、いいね。』と父。
若いグループが『聖者の行進』を演奏する場面があり、軽快で格好良かった。
‥‥と思っていたが、何組か後に出てきたルイ・アームストロングが同じく『聖者の行進』を演奏したら、まるっきり違った。先のグループが一瞬で色褪せてしまった。
「さすがルイ・アームストロング。音が豊かだね。」という話をした。
『生意気な奴。』
笑いながら小突かれた。
‥油と塩がおでこに付いたんだけど‥
「アニタ・オディが素敵だった。」
『お前の口からアニタ・オディの名前が出るなんて。生意気だな。』
また小突かれた。
‥濡れ布巾を持ってきておでこをふくことにした‥
『だいたいエビスビール飲んでるところからして、生意気だ。俺はどこかの焼酎だぞ。えっへん。』
と、またしても小突かれた。
とても楽しそうに笑いながら。
‥いいもん
後で洗うもん‥
『いかり豆あるよ?』と父。
「う〜ん、それはいいや。」
『まだまだだな。』
やっぱり楽しそうだ。