
関東の乗ったことが無い路線 野岩鉄道 会津鬼怒川線
野岩鉄道会津鬼怒川線とは栃木県日光市の新藤原と福島県南会津町の会津高原尾瀬口駅の30.7kmの路線で沿線自治体の出資する第三セクターの野岩鉄道株式会社が運行する。野岩鉄道とは栃木県の旧国名の下野国と、福島県の会津と中通り地方の旧国名である岩代国をとったもの。
新藤原駅では東武鬼怒川線、会津高原尾瀬口駅では会津鉄道線と接続していて、一体的な運行が成されている。JR線以外では唯一都道府県境を跨いで関東外と接続している路線。この日は東武線の乗りつぶしもかねて都内から特急リバティで野岩鉄道線も全部乗りとおすということにしました。

起終点を合わせて9駅中5駅が温泉(湯)を名乗る駅で、これは2006年に中三依駅を中三依温泉駅へ、上三依塩原駅を上三依塩原温泉口駅に改名もしてほっとスパ・ラインという愛称までつけてしまうくらい、温泉全振りの路線。実際に川治温泉は都内から1本で来れて鬼怒川温泉はちょっとベタすぎるかなというニーズの受け皿としてこの路線のメリットを生かしている。




全区間がなかなかの山間部ではあるものの国鉄末期に設計されているため高台をトンネルと橋でぶち抜いていて、トンネルは全体の57.4%、橋梁も9.2%を占めていて直線的で駅も少ない。その結果最高時速80km/h、表定速度50km/hというスペックを発揮している。一方でせっかく鬼怒川上流の男鹿川の渓谷沿いを通っていながら、景色がそんなに良くないというデメリットもある。




ちなみに全線単線ながら開通時から全線電化で開業しており、巨大なコンクリートの橋で山間部のローカル線には似つかわしくない姿。当初の計画から新藤原駅で接続している東武鉄道経由で都内からの直通列車を走らせるためで、それに続き会津鉄道も都内からの直通による観光客の誘因のため会津田島駅駅まで電化している。
第三セクターの路線ということで沿線の福島県、栃木県が主要株主で、ほとんどの区間が栃木県でありながら福島県が最大株主。それは会津鉄道との一体性からのもの。3番手の大株主となっているのが東武鉄道で、電化設備の保守点検などを実質的に東武鉄道グループに委託している。

野岩鉄道の成り立ちは割とよくある歴史をたどっている。端的に言うと無謀な計画のもと建設されていた地方区間が開業しないまま国鉄が崩壊し、地元の自治体が面倒を見ることになった路線でもある。例にもれず大赤字ではあるが補助金で何とか存続している。2023年3月度は2.2億円程度の収入に対して営業費用が5億円超、それに対して補助金で賄い固定資産の圧縮を行い若干の黒字を残すというような状況。
野岩鉄道が走る区間は会津と日光街道を接続する下野街道・会津西街道という東北と江戸を結ぶ幹線街道の1つで、鉄道においても現JRの日光線は歴史が古く1890年には宇都宮から今市・日光間で開業済み。会津若松からは会津線が会津南部へ延伸しており、この区間を接続しようと計画されたのが野岩線にあたる。今市側では競合していた東武鉄道が鬼怒川線として1919年には新藤原駅まで開業、会津鉄道は1953年には会津高原尾瀬口駅となる当時の会津滝ノ原駅まで開業。
戦前の無謀な計画を見直すこともなく、国鉄が建設を進めたものの工事は凍結されていた。1980年に国鉄再建法が施行され、工事が進んでいた野岩線区間は福島県と栃木県が第三セクター路線として受け入れることで合意し工事が再開、結局日光線には直接接続せずに東武線の新藤原駅までと計画変更され、1986年に野岩鉄道線として開業に至っている。その前後の1984年には会津線は廃止対象となりこちらも国鉄解体後に福島県が受け入れることで第三セクターの会津鉄道線となっている。
野岩鉄道は1日9往復で、朝夕の普通列車と合わせて昼間の4本往復が東武浅草と会津田島駅を結ぶ特急リバティとなり、新藤原駅~会津田島駅の間の乗降であれば特急料金は不要の実質普通列車の役割をしている。休日1往復だけ新藤原駅と会津若松駅・喜多方駅まで直津運行するAIZUマウントエクスプレスが増便する。



野岩鉄道と会津鉄道の会社が変わるのは会津高原尾瀬口駅ではあるものの、直通も多く実質は会津田島駅が拠点のような位置になっている感じ。実は私も会津若松側から会津田島駅までは来たことがあるので、これをもって会津鉄道も全線制覇したことになります。





