一家の引っ越し原因は
大人になってから知ったことだが、栗原家の子供達が通っていたのは、ブルジョワ幼稚園と言われていたらしい。
少ない園児数に広い敷地。伸び伸びとした園風だったとは思うが、なにがブルジョワと言われる所以だったのかわからない。
それはさておき、その幼稚園には3年間通った。園児たちは仲が良く、みんな同じ小学校へ上がるのだと思っていた。
ところが私だけがみんなと違う小学校へ進学しなければならないことが発覚した。
なぜ私だけみんなと違うのか?
そんなのイヤだ!
みんなと同じ小学校に行く!
絶対みんなが行く学校に行くんだ!
なぜ私だけがみんなと違う学校へ行かなければならないのか。
幼い私には理解できなかった。
幼稚園へは毎日車で通っていた。
車で片道20〜30分だったろうか。
つまり通っていた幼稚園も、みんなが進学する公立小学校も私の家からは遠かったのだ。
栗原家の自宅から徒歩で行ける小学校へ、ものすごく渋々学校見学のようなものに行ったのを今でも覚えている。
その学校に行くつもりはまったくないし、絶対に行かないと決めていた(ような気がする)。
近くの小学校に行くことにどうやっても納得しなかったと思われる。
私は幼稚園の友達と同じ公立小学校へ越境入学した。
どうにもならないと思われるものを、どうにかするのが栗原家だ(笑)。
車で方道20〜30分の送り迎えをしてもらう通学生活が1年も過ぎた頃、「これをあと5年もするのは大変だろう」と、一家は引っ越すことになった。
父が建てたばかりの、車2台分の駐車場付きの一戸建て。その家を人に貸すことにして。
庭には箱ブランコや砂場、滑り台まであった。子煩悩な父が建ててくれたその家を、私のワガママで引っ越すことになったのだ。
今となっては父に申し訳ない。
とはいえ、子どもの我がままで家まで引っ越してしまう父は子煩悩が過ぎるというか、愛情が多すぎるというのか、とにかく言ったことは実現してしまうところが偉大すぎる人だ。
小学校へ上がってみれば、みんなと同じクラスになったわけでもなく、新しい友達がたくさんでき、幼稚園の友達と遊ぶこともなくなったというオチ。
一体なんのために家まで引っ越したのか。
やはり父には申し訳なかった。かな。
心からの尊敬と感謝を両親に捧げまする。