言葉はいとも簡単に人を勇気づける。
お店に入ってすぐの所にある階段を登ると、目に入るトマトの絵。クルミドコーヒーでは、季節に合わせて様々なメニューを提供している。今はトマトをたくさん扱っている時期で、農家さんから直接仕入れたトマトで「まるごとトマトジュース」を作っている。トマトの絵は、そのトマトジュースを紹介するためのものだ。
「この絵はね、お店のスタッフが描いてくれたんだけどね、」
店主の影山さんが壁にかかっているメニューのイラストについてのエピソードを教えてくれた。
「描いてくれたスタッフは絵を描くことが好きだったんだけど、昔先生に下手って言われてから、それを閉じ込めていたんだ」
驚いた。トマトのぷっくり具合やヘタのヒョロっと具合はとてもリアルだった。「私描くのが好きなのでやらせてください」という人がやっているのだと思っていた。
そのスタッフさんがクルミドで働きはじめたとき。その人が描いた落書きをみて影山さんは褒めたそうだ。そこから「これ、やってくれない?」とクルミドが出版している本の挿絵や看板のイラストをお願いし、描いてくれるようになったそうだ。この話を聞いて、言葉の影響力はすごいなと感じた。言葉ひとつで、好きな気持ちは閉じ込めてしまうし、言葉ひとつでのびのびとやることだってできる。
「みんなそれぞれ良いところがあって、挨拶ができるとか、気遣いができるとか。でも見えにくいものは本人も気づかなかったりするんだよね。」
***
”あなたの長所はなんですか”
私はまともに就活をやらなかったからわからないが、就活生を見ているとみんな自己分析とやらに必死だ。でも、そんなの短期間じゃわからない。自分の中のアタリマエは他の人にとって魅力的かもしれないが、言われなければ気づかない。
私は挨拶ができる人が好きだ。ありがとう、ごめんなさいが言える人が好きだ。人のことを祝福できる人が好きだ。人の変化に気づける人が好きだ。人を励ませる人が好きだ。どれもこれも私には足りないと思うことで、そんな人を見ると「すごいなあ」と単純に思ってしまう。
「そんなのアタリマエだよ」
と相手が思ってたとしても。
***
かくいう私も、やっと最近自分の長所に気づき始めた。
「くりのちゃん(さやかちゃん)がいたから本当に助かったよ!」
そんなふうに言われることが短期間で続いた。最初に言われたときは、「いや、こんなの誰でもできて、私がたまたまタイミングよくいただけです」って思っていた。でも、たくさんの人に言ってもらえたことで、少しずつその感情は溶けた。
「でも、私のこの長所ってサポーターなんですよ。たぶんリーダーとかにはなれないですよね。最近やっとそれに諦めがつきはじめたんです。」
私にとっては、ここから長所をどんどん使っていこうという宣言だったが、今思うとどこか言い訳じみた言葉だったようにも思う。
「くりのさんは、きっとリーダーになるよ」
影山さんは続けて話す。
「だって、僕と同じだから。自分にやりたいことがなくても、人を応援できる人はリーダーになれるよ。このお店だって、やりたくてはじめたわけじゃないけど、いろんなことをやってくれるスタッフがいるから。」
そうか、と思った。人を応援し続けるのもサポーターとは限らない。いや、正確にいうと、サポーターもリーダーも行ったり来たりするのかもしれない。影山さんがいつもいう「種を育てる土」という言葉がある。
土自体が何かをするわけではないんですけど、土がないと種は芽を出すことができない。僕はそこに何か干渉して無理に芽を引っ張っていこうとは考えないけど、それぞれがどういうタイプの種か感じられるところはあるので、きっかけを与えたり、「こういうことをやったら向いているんじゃないの?」と提案したりはします。(greenzインタビュー記事より)
そういうことなんだなと思った。
また私は言葉にいとも簡単に救われてしまった。言葉っていうのはすごく強い。私も「土」のように人を応援していこうと思う。水をやる、なんていうのはおこがましいが、素敵だと思ったことにちゃんと言葉をかけていこうと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?