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東北、妻の郷里へ(2024.10)

わたしが義父にメールを書いたのは8月下旬のことでした…。

さて、話は変わりますが、
わたしの義母である、
Mさんの誕生日、
10月31日(木)に、
盛岡の千葉家に、
お邪魔させて頂くのは、
構いませんでしょうか。

指定難病5、
進行性核上性麻痺、
その診断名であると、
妻から聞かされたとき、
わたしは、インターネットで、
発症からの余命年数を見て、
頭の中が、真っ白になりました。

小脳が委縮する...
そんな病気があることを、
今まで、考えたこともありませんでした。

わたしは、その時から遡(さかのぼ)ること数年前、
妻と、Mさんと、
代わる代わる、運転する車で、
「浄土ヶ浜」に連れて行ってもらいました。

当時の写真を添付にて、お送りさせて頂きます。

ひととおり、海岸を歩いたあとで、
「浄土ヶ浜」に面した食堂で、
「海鮮ラーメン」なるものを、
Mさんと同じものを注文して、
会計は、3人分、Mさんに、ご馳走になりました。

末っ子の娘と、その彼氏と、母親と...
Mさんは、どこか、うれしそうでもありました。

あの頃は、わたしの記憶の中では、
それほど「昔(むかし)」の出来事ではありません...

「十年一昔」と云いますので、
あれは、忘れもしない、2018年5月に、
岩手へ、お邪魔させて頂きました折の、
まだMさんが、車の運転をしていた頃のことでした。

その後、同年9月11日、
Mさんの難病が、医療機関より診断されました。
※あの段階では、まだ正確な病名には診断されませんでしたが...

わたしにとっては、
2018年5月の「浄土ヶ浜」が、
Mさんとの「思い出」の地となりました。

しっかりと、いのちの「灯(ともしび)」をたやすことなく、
今年、10月31日、Mさんは、誕生日を迎えます。

進行性の難病、その病者にとっては、
誕生日を迎えて、それを超えて行くことは、
並大抵の出来事ではないのです。

そこに立ち会わせて頂けるのであれば、
これほど光栄なことはありません。

ぜひとも、10月31日、岩手の千葉家にて、
同席が、許されますことを、希求致します。

どうぞ、宜しくお願い申し上げます。

2024.8.26

N・H

わたしのメールに添付された、妻と、義母であるMさんのツーショット写真

そして歳月は流れて、今回は、わたくしの所属する教会である「シオンの群教会」の主任牧師、吉川直美師も、東京から、東北の地までご一緒頂けるという「ご好意」を賜り、その日程は、義母の誕生日、その前日である「10月30日」と決まりました。

そして、10月30日、当日、義父と、義母は、吉川牧師と初対面となりました。とても和やかな雰囲気の中で時が流れたのは、義父と、吉川牧師との、ともに義母を「想う」気持ちが一致した、同じ志(こころざし)を抱き、そして義母の「心」の平安を願う…共通した願いがあったればこそでした。

左から、吉川牧師、義母、義父、その3人

夕食をともにして、歓談に花を咲かせた夢のような時間は、あっという間に過ぎ去って、義父が、ホテルまでのタクシーを自宅前の路上に呼び止めに行き、わたしと妻は玄関にて靴に履き替えていたとき…ふと、義母と、吉川牧師だけの、2人だけの時間が、ほんの「5秒」ほど生まれました。

わたしの居た玄関先からは、吉川牧師が、義母に何を語りかけたのかは聞き取れませんでしたが、進行性の難病で、喋ることも困難であるはずの義母が、大きな声で「ありがとう」と、そして「アーメン」と声にしたときに、
わたしは、受洗したキリスト者である義母にとって、吉川牧師と会えたことが、遠路はるばる、吉川牧師に、この東北の地まで、足を運んで頂いて、実際に、義母に、面と向かって「語りかける」ことのできる距離に立って下さったことの意味が、はじめて分かりました。

この、わずか「数秒間」に交わされた言葉のために、2人は出会い、そこに神が介在したことに、心から感謝をしつつ、わたしは、その証人となったのでした…。

翌日、義母は、72歳の誕生日を無事に迎えることができました。

これにて、義母は、最後のときに、安心して、永遠のいのちに入ることができることでしょう…神に感謝を、吉川直美師には心からの感謝を...。

吉川牧師と義母と…わたしたち夫婦による4名の写真から…

サポートして頂いた金額は、その全額を「障がい者」支援の活動に充当させて頂きます。活動やってます。 https://circlecolumba.mystrikingly.com/