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『ヨブ記注解』文献探し

蛇足になりますが、今朝は、持病の「逆流性食道炎」で深夜1時に胃液が口元に戻ってきまして、それから目がパッチリと開いてしまったので、深夜のパソコン作業です…。

カバー写真は、ヨブ記をヘブライ語(סֵפֶר אִיּוֹב‎)で読み替えて、googleの画像検索をして、偶然に見つけたものです。知らない文書を探している本を探している感じが出ていて、良いと思いました。

他に、ヘブライ語のWikipedeaにて「ヨブ記」のページがあり…その中に「ウィリアム・ブレイク(晩年の『ヨブ記』への挿絵などで有名なイギリス人銅版画職人)の挿絵だけが集まっているページがあったので、これは「拾い物」でした。※こちら画像は「ダウンロードフリー」です。

少し話が脱線いたしました、申し訳ありまん…今、深夜2時半なので、集中力に一貫性を欠いております、ご理解を賜りますことをm(__)m

再三、繰り返しになりますが、今、わたしたちは、一冊の本を前にして読書を共有しております。それは以下の本になります。

しかしながら、本書の「序論」(18~90ページ)を、わたし自身が精読し終わるまでは、いったん「note」での『ヨブ記注解」の読書記録は待ってもらってもらうことになっております。
※本書の「序論」部分の読書記録は取らない…ということになります

その代わりといっては何ですが、皆さま、もう既に「ご存じ」の小論も多いかもそれませんが、わたくしが、ここ最近に「ヨブ記」の基礎知識を身につけるために「Google Scholar(検索エンジン)」で見つけました、そのネットの世界に落ちていた「拾い物」の諸論文を共有しまして、それを参考に、簡単な「意見交換」ができれば嬉しいな…というのが、わたしの希望です。

今回は、本書『ヨブ記注解」の書評を、 魯恩碩(ろうんそく)という学者先生が執筆しているものを見つけたので、そちらアップしておきます。

著者である人物は、こちらから…。

わたしが、今回、案内を割愛している本書の「序論」部分に関してましても、その記載に触れている内容になっておりますので、ご興味のある方は、ぜひ、ご一読を...。

以下、一部だけ、論文内の文章より、引用しておきます。

著者によると、例えば、ヨブと三人の友人たちとの対論にはある種のコントラストが存在する。三人の友人たちの論法は次々とフォーカスが変わるものの、本質的には応酬原理の信奉者としての立場を一歩も譲らない。もう一方でヨブの神学的な主張は力動的に変化してゆく。つまり、ヨブは友人たちへの抗弁を重ねる際に、自分の内面を省察し、神に向き合る態度を根本的に変えていくのである。最初に彼は生の取り消しと冥府下りを願望していたが、友人たちの反論を受けて、自分の無罪と倫理の完全性という観点から宣言する。さらにヨブは最初のうち上を三人称に据えて嘆きの声を上げていたが、最後にはその神を正面に据えて自分の潔白を誓うに至るのである。著者は読者に次にようにアドバイスをする。
「ヨブの弁論は、彼の側で発生する複数のモチーフが並行的に発展し、それぞれが終点を迎えて終わる運動である。その運動に関わる言葉はモザイク的に組み込まれている。それを了解すれば、読者が彼らの対話の輻輳した森で迷うことはない。(129頁)

【書評】並木浩一著『ヨブ記注解』より引用

まだまだ紹介したい文章はあるのだが、各々の小論を読解する「楽しみ」を奪ってしまうことになるので、やめておく。

本日は、1,500文字という小論で済みそうです。

では、またの機会に、ごきげんよう。

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