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愛餐(LOVE FEAST)

わたしは元カトリック信徒ですが、この「愛餐(あいさん)」という言葉を耳にしたのは、プロテスタントの方々と交わってから…であったような気がしています。
わたしは、今、『ウェスレリアン神学事典』を手にしています。

「ともに食卓を囲むこと」は、福音書の記述において、イエスは、徴税人と、娼婦たちと…当時、「罪人」とされた人々とされた者たちと一緒に、テーブルを同じくして、食事をしたことに由来することでありましょう...。
以下、事典より引用いたします。

 福音書には、幾つかの場面でイエスが食卓で交わりに参加されたことを記している。ルカ、ヨハネ福音書には特に、復活されたイエスの顕現の描写に、食卓での交わりというテーマに強い光を当てている。
 この時の記憶が、初代教会の定期的に食事をしていたことの動機のようである。
 自分たちの信仰の交わりを喜び祝おうとする願いと、自分たちの中の貧しい人の世話をするという関心から、エルサレム教会は励んで共に食事をするようになった。
 おそらく彼らの共通の食事は、主の晩餐を守ることも含んでいた。主の晩餐の実践は、少なくともパウロの異邦人教会のひとつにおいて続けられていたように思われる。(1コリ11:17-34)。
 愛餐を守ることは、アウグスティヌスの時代まで広範囲に広がった。
 東方正教会はその習慣を持続しており、それはモラヴィア派の人々にも取り上げられ、その派の中からジョン・ウェスレーはメソジストのために受け継いだのである。

上記、文章において、東方正教会の「モラヴィア派」についての指摘が唐突に記載されている。

Wikipedia(日本語版)の文章を引用すると、以下になります。

ジョン・ウェスレーとメソジストへの影響

ジョン・ウェスレー1735年アメリカのジョージアへ行く途中に、モラヴィア兄弟団の存在を知り、生活を共にしてモラヴィア兄弟団の敬虔主義の影響を強く受けた。航海中の嵐の中で平安を保ち、神を賛美するモラヴィア兄弟団に感動したのである。上陸後モラヴィア兄弟団の指導者シュパンゲンベルク英語版)はウェスレーに「あなたはイエス・キリストを知っておられますか?」と尋ねた。後の1738年、アルダスゲイトでモラヴィア兄弟団の宣教師ペーター・ベーラー信仰義認の説教を聞いて、信仰の確信を得、第二の回心ともいうべき体験をしている。このように、モラヴィア兄弟団の敬虔主義は、後に形成されたメソジストにも大きな影響を与えた。

上記「第二の回心」等については、改めて、この事典に記述があると思われるので、そのときに触れたいと思います。

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くり坊
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