百年の孤独/消えた初版本▶Yuning
Buenas noches!
今日は畏れ多くもあの有名本について書きたいと思います。
1972年の邦訳刊行から半世紀以上もたって、今年の6月に初の文庫版が発売されることになったガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』。
単行本の累計部数は52年間で約30万部でしたが、文庫版は「発売前重版」がかかる状態で(もはや言葉として意味がわかりませんね)、すでに7刷29万部以上の売れ行きとなっています。Amazonで予約した人が発売日に手にしたのはすでに2刷や3刷で、果たして初版はどこに消えたのか?ともっぱらの噂になりました。
なお、このタイミングでの文庫版発売は、Netflixでの映像化が決定したからだと言われており、さすが“カリフォルニア共和国”(ひとつの州でたいていの国よりも強力な金満パワーを誇ることから付けられたあだ名)の影響力はすごいなと思わされる出来事でした。
***
ノーベル文学賞でもある本作のあらすじを、長々とここで述べることはしません。というよりも、膨大な量の挿話を積み上げることによって形作られたこの物語についてのあらすじを書いたところで、マコンド入村前の方には「??」となるかと思います。すごく簡単に言えば、マコンドという架空の村を開拓したブエンディア一族の盛衰記、となるでしょうか。
しかしこれが妙に中毒性があって、時間が主観的にループしていたり、死者がそのへんをうろうろしていて会話できたり、不思議な現象が起きているのに誰一人驚かなかったりします。そこにいちいち引っかかっていては前に進めないので、ここは「考えるな、感じろ!」の世界だと思って、あまり気にしないでください。だって、ラテンですもの。
冒頭の「のちに大佐が銃殺隊の前に立つはめになったとき、彼ははじめて父親とともに氷を見た時のことを思い出した」から始まる序章。そこから村へやって来るジプシーと彼らがもたらす珍しい品々に関する話が25ページほど続くのですが、ここはJ.R.R.トールキンの『指輪物語』冒頭にある「パイプ草について」と同程度の冗長さと重要さを持ちます。生まれて初めて氷に手を触れたホセ・アルカディオ・ブエンディア(José Arcadio Buendía)が「こいつは、近来にない大発明だ!」と叫ぶところまでひと息に読めれば、あとはスムーズにマコンド村の住民となれるでしょう。
***
本作は、マルケスが愛読したという『ドン・キホーテ』のメタフィクション要素を取り入れていたり、(突然外からやって来るアメリカ人のバナナ会社に象徴されるように)スペイン人の到来より始まるラテンアメリカの略奪と植民の歴史が暗喩されていたりするのですが、作者がもっとも言いたいのはおそらくそこではありません。
「はは、何せ氷を見て大袈裟に驚くような連中の与太話さ。どうか楽しんでくれ!」と、マルケスならきっと笑いながら言うことでしょう。だから、ラストの近くで、なかったことにされてしまった虐殺事件の存在について激昂するアウレリャノ・ブエンディアに対して、司祭は「お前とわしが、今こうして生きているだけで、十分だと思うがな」と穏やかに返します。
三千人の死者よりも、今生きているお前さんの方が大事だと思わんかねと、司祭は若いアウレリャノをたしなめるのです。そこにある「生への肯定」が、作者の中に確たる信念としてあるのだろうと感じました。
***
そして、邦訳出版時の編集者であった塙陽子さんがインタビューで述べているように、原題の「Cien Años de Soledad」(英題「One Hundred Years of Solitude」)を、「孤独の百年」とはせずに「百年の孤独」とした鼓直さんの訳はすばらしいの一言で、そりゃお酒の名前にもしたくなるよね!と叫んでしまいます。
それでは、Que sueñes con angelitos…(良い夢を)。
この大作…いや怪作を読破した方は、ぜひ読書会へおこしあれ♪
【投稿者】Yuning
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?