見出し画像

傷つくために生まれてきた▶︎チャーリー

自分は傷つくために生まれてきた、そう感じてしまう時があったりするものだ。

いいとか悪いとかではなく、自己嫌悪感にまみれたり、すべてのものは自分を傷つけるためにこの世に生まれてきたんではないかと自問自答する時があったりするもんだ。

それを人は「青春」と呼んだりするし、そこから抜け出す処方箋を「大人になる」と呼んだりする。

一方で、「なんとか坂」の女の子が全部同じ顔に見えて、ヒット曲はサビの部分の三小節しか出てこなくて、電車で優先席を譲られるようになっても、受けた傷はわずかに癒えず残っていて、不用意に触ると飛び上がるほどの痛みが蘇ってしまうようなことがある。

「淡島百景」 全五巻 志村貴子 太田出版

「淡島」と書いて「あわじま」と読む。

舞台は淡島歌劇学校合宿所、通称「寄宿舎」。淡島歌劇団のスター達に憧れて自分もそうなりたいと思う少女達が集い、暮らす場所。「合宿所」と呼ぶと味気ないから「寄宿舎」と呼ぶらしい。
1年目は予科生、2年目は本科生と呼ばれ、二人1部屋で生活を送る。

「宝塚歌劇団」の養成施設でもある宝塚音楽学校が淡島のモデルである事は言うまでもない。

いわゆる「タカラヅカ」をモデルとした漫画は今までにもあった(「かげきしょうじょ!!」斉木久美子 花とゆめコミックス)が、他の作品なら取り上げてそうな(昨今問題にもなった)生徒間のイジメ問題についてはこの作品は全くといっていいほど触れていない。

そもそも作者の意図は生徒同士のライバル心や、ステージの主役争いをメインに描くようなところには無く、もう少し別のところにある気がする。

誰かを押し除けてここに来てしまった自分、大スターだった親のようになれない自分といった罪悪感や劣等感を描くことにある気がする。そこからなんとか這い出せたり、絡め取られて抜け出せなくなった少女たちを一話完結で描く。そういう意味で華やかな歌劇の舞台に比べて極めて内向的だ。

話の主人公はこの学校の生徒だが、毎回変わるし、淡島歌劇学校は長い伝統があるという背景を利用して、話の時代設定も変わる。

或る話で歌劇学校の生徒だった少女が別の話では数十年過ぎていて歌劇学校の講師となっていたり、歌劇学校への入学を希望する娘の母親として登場した女性が若き頃同じように歌劇学校への入学を望んでいたり、時代と年齢と立場が入れ替わって描かれる。

ここで描かれるのは、そんな女優の卵や、孵化せずに終わってしまうかもわからない女性たち、スタートラインにも立てなかったり、スポットライトから降りて、別の世界で充実する女性たちもいる。それに対してトップとして、スターとして成功した女性もいる。この漫画はそんな女性たちの群像劇、傷つけ合う女性たちの群像劇である。

横浜読書会KURIBOOKS - 知的好奇心を解き放とう~参加者募集中~


▶︎チャーリー

いいなと思ったら応援しよう!