もういない君へ/城山三郎▶Yuning
こんにちは、Yuningです。
急に涼しくなって秋らしくなり、なんだかものかなしい気分になっております。例えるならば、森山直太朗の「夏の終わり」でしょうか。
「追憶は人の心の傷口に/深く染み入り/
あれからどれだけの時が/徒に過ぎただろうか」と――。
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そんな気分で、城山三郎の『そうか、もう君はいないのか』を手に取った。小説家である著者が妻・容子との出会いから別れまで、生涯にわたる思い出を綴ったもので、さらに最後には次女である井上紀子氏による「父が遺してくれたもの」というエッセイが収録されている。
この本について知ったのは読書会の仲間が紹介していたからで、城山さんは『硫黄島に死す』ぐらいしか読んだことがなかったけど、ふと思い出したのである。
そしたら…すごく今の自分に沁みた。
「あっという間の別れ、という感じが強い。四歳年上の夫としては、まさか容子が先に逝くなどとは、思いもしなかった。容子がいなくなってしまった状態に、私はうまく慣れることができない。ふと、容子に話しかけようとして、われに返り、「そうか、もう君はいないのか」と、なおも容子に話しかけようとする。」(P.134)
…沁みすぎて、なんか逆にダウナーに沈みそうな感じである。
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後半、著者は適切な治療を施してくれなかった(と彼には思えた)妻の主治医に対してこう書いている。
「癌はいずれにせよ、早期発見が肝要にちがいない。(中略)何故もっとはっきり病状を伝えなかったか、何故悪い肝臓を放置したか、その医師にはいまも恨みが残る。容子は、定期的な検診を受けているので、まさか重い病気が進行しているなどとは思いもせず、同じ病院に通い続けた。」(P.123)
学徒動員の海軍士官として先の大戦を生き延びた彼が、妻の早い死につながるこの不注意をどれほど悔いたが、想像するだに居たたまれない。
また、私はこれまで、妻に対して「おい」とか「お前」とか呼ぶ横柄な昭和タイプの男がきらいだったが、城山氏が妻に向けて書いたこの詩を読んで、瞠目するものがあった。
「起きてる間は いろいろあるが 眠れば 時計より静か
「おい」と声をかけようとして やめる
五十億の中で ただ一人「おい」と呼べるおまえ
律儀に寝息を続けてくれなくては困る」(P.105)
…なんだ、これでは単なるツンデレではないか!(笑)
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最後に、もう一つ面白いエピソードを紹介したい。
著者は初めての本格的な小説である『輸出』を書き上げると、「文學界」誌に投稿した。城山へ三月に引っ越したから、ペンネームは城山三郎とした。しばらくたったある晩、文藝春秋社から「文學界新人賞に決定しました」という電報が来た。しかしその時、著者はちょうど風呂に入っており、容子が電報配達員に「シロヤマ?そんな人はうちにはいません」と答えているのが聞こえた。著者は妻にペンネームはおろか、小説を書いていたことすら教えていなかったのだ。ぎりぎりで誤解は解けたが、危うく「受賞者存在せず」で小説家デビューを逃がすところだった、と振り返っている。
夫婦間でもホウレンソウは大事にしましょう、という教訓である。
というわけで、読書会で教えてもらった本に感銘を受けた話でした。
こんな切ない秋の日は、読書会に行くに限りますよ。
【投稿者】Yuning
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