いとうせいこう氏が語る理由▶︎チャーリー
横浜読書会KURIBOOKSの映画祭の司会を担当しています チャーリー です。
ゆるく、長く、続けることが目標です。
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令和6年能登半島地震において被災された方々に心からお見舞い申し上げます。
また被災地で救助活動、支援活動をされている方々、寄付などの支援をされている方々、そして、行動は起こせていないけれど気持ちだけでも被災地を応援し、支えとなりたいと感じていらっしゃるすべての人々に感謝いたします。
いとうせいこう氏の作品を読まれたことはありますか?
と言っても僕もそんなに読んでいる訳ではないのですが、もともとはみうらじゅん氏との対談(というか雑談)集などが好きでした。しかし、ある時「想像ラジオ」という作品を読んで印象が変わりました。
「想像ラジオ」は3.11、つまり東日本大震災で亡くなった人、そして大切な人たちを失ってしまった人たちへの鎮魂歌とも言える小説、フィクションです。
そんないとうせいこう氏が今度は震災で被災した人たち、被災した人たちの支えとなろうとした人たち、特に女性にインタビューをして聞き書きをし、それを当人の語りであるかのような文体で作品化したのが「福島モノローグ」というノンフィクションです。
ここで語られる様々な人たちの震災後の暮らしぶりを読んで、「力強い」、「力をもらった」と感じるのは、少し安易かもしれない。
僕たちは錯覚してしまうのだ。その人たちは震災後の世界に向き合い、逃避することもなく、かと言って過度に逆らうのでもない。いや、あんな大きな波に逆らえるわけがない。それ故に、ある意味淡々と、着実に一日一日を過ごしている。しかし、それを知ると、その淡々とした日々を知ると、一体その一日は、僕たちの一日と違わないように思えてくる。
つまり、あの人たちは、あの大きな喪失を乗り越えたのだろうかと。
津波によって様々なものを失ってしまい、自分自身までも波と一緒に沖の彼方へと引き込まれてしまったが、ようやく僕たちと同じところまで戻ってきたのだろうかと。
しかし、それは違うと僕は思う。
作品の中で父親を亡くした女性が語る。
震災後数日経って駅の近くなどを歩いていると、みんな普通の感じだったりして、本当は地震なんて夢だったんじゃないだろうか、父が亡くなったというのも夢だったんじゃないだろうかと錯覚すると。
それはつまりとてつもない喪失感、地震で大切な人を失ったという喪失感をも見失ってしまう程の、入れ子のような大きな喪失を今も抱え込んでいるということではないかと。
いとうせいこう氏はまだまだ聞き書きを続けていきたいと言う。いとうせいこう氏によってさらに残されるモノローグに期待したい。