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#26 他人の幸せを願うって...?

どうも、不登校中学生の父、栗ワッショイです。
今日もお読みいただきありがとうございます。

このブログでは、4月から受験生になった不登校中学生の長男と、13歳差の次男の子育てを通して感じたこと、学んだことを発信していきます。

最初に言っておきます。
不登校については、何の動きもありません。
不登校歴4年にもなると、今更、学校に行ってもらいたいなんて微塵も思わなくなりましたね(^▽^;)
ただ、中学3年生なので、進路についてはそろそろ真剣に考えないとなぁ...とは思っております。本人がどう思っているかは知りませんが。。。
中学3年生になる前にちゃんと話をした方が良いのかなとは思っていたのですが、ちょっと進路とか将来の話になると急に塞ぎ込むので、そこから踏み込めずにいるというのが現状です(-"-)

けど、やっぱり将来は幸せになってもらいたいなぁ...とは思うんですよね。
何が幸せかは人それぞれなので、自分の価値観を押し付けるつもりはないのですが、本人なりの幸せを見つけて掴み取ってもらいたいし、親として、それを出来る限りサポートしてあげたいなとは思います。

けどね、そこはどうしても自分の主観が入ってしまうんですよね。
そして、自分の経験を重ね合わせて比較してしまうんですよね。
さらに、無意識のうちに自分の人生を肯定したいので、自分の経験上、違うと思う事は否定してしまいたくなっているんですよね。
自覚は無いのですが、多分、そうなのです(;^ω^)

具体的に言うと、僕は、中学も高校も友達はそれなりにいたし、本当に楽しかった。良い思い出だけではないけど、全部ひっくるめて、ちゃんと青春してましたね(^-^)
部活もしてたし、友達とも遊んだし、悪さもしたし、恋愛もしたし、学校行事にも取り組んだし、バンドも始めたし...
その経験が自分の人生にはプラスになっていると思っているから、息子にも、高校に行って友達を作って同級生と色々な経験をして欲しいなと思ってしまうんですよね。

今思うと、僕は友達に恵まれていました。中学も高校も、友達のお陰で楽しかった。
文化祭や体育祭等の行事も積極的に参加していたし、その経験も今の自分には大きな影響を与えていると感じています。

だから、長男にも中学や高校生活を楽しんでもらいたいと思うし、そこから学べることはたくさんあるから、そんな経験をしてもらいたいなと思ってしまうんですよ。

けど、それは自分の経験の話。

長男は自分ではない。
自分にとって良かった経験・体験が、長男にとっても良い経験・体験になるかは分からない。
いや、むしろ、長男は学校に行くことがそもそも苦痛なんです。
それなのに、「学校に行けば良い経験が出来るよ!」と言う事は、大袈裟に言うと、長男にとっては拷問なのかもしれない。良い経験ではなく、ただの苦痛な時間なのかもしれない。

長男にとっての本当の幸せとは何なのか?

それはまだ分からないけど、少なくとも、自分の価値観を押し付ける事が正解では無いことは間違いない。
自分の経験を伝えて選択肢の一つとして与えるのは悪くないし、むしろ必要なことです。そして、自分の価値観を押し付けるのは絶対に間違いです。
どこまでが提案で、どこからが押し付けなのか、その境目は難しいのですが、まずは本人の価値観を尊重することが絶対的に必要なのです!
そやぁ何十年も生きて色々な経験をした自分と、15歳の長男では見えている世界は違います。
長男は長男の世界で必死に生きているので、大人目線で頭ごなしに否定する事は、自己肯定感を下げるとこになってしまうかもしれません。

そう思ってはいても、学校に行かず、昼夜逆転し、ゲームしかしていない長男に対して、どうしてもイラっとしてしまう瞬間はあるんですよね...
学校に行けない長男にとっては、そこが自分の居場所なのです。ゲームで人と繋がっているのです。
それでも、まだまだ小さい自分は、感情的にイライラしてしまう瞬間が多々あります。


ここで少し話は変わります。
皆さん、「無償の愛」についてどう思いますか?

特に子どもに対しては、「無償の愛」が大切だ!なんて、よく言われていますよね。


僕は、妻の連れ子が2人いて、本当に僕と血のつながった子どもは1人です。
連れ子2人のこともちゃんと愛しているし、自分の子どもだと本当に思っています。
ただ、2歳の次男が可愛過ぎて、溺愛しているのも事実です(^▽^;)

そもそも、子どもは嫌いではないけど苦手でした。
それは、身近に子どもがいる生活を送ってこなかったからだと思います。
だから、子どもが2人いる妻を好きになって結婚まで考えた時も、子どもをちゃんと愛せるのかどうか不安でした。

いざ、結婚して、妻や子どもと一緒に生活して、戸惑う事はたくさんありました。
2人の子どもは好きだけど、そもそも子ども慣れしていない自分は、どう接したら良いのか分からず迷う事もたくさんありました。
今でも迷い続けています。。。

そんな中、僕と妻との間に赤ちゃんが出来ました。
嬉しかったけど、子ども慣れしていない僕は、その赤ちゃんをちゃんと愛せるのだろうか...
という不安があったのは事実です。

色々な思いがありながらも、時間は過ぎていきます。
そして、遂に妻は命を掛けて赤ちゃんを産んでくれました!

その赤ちゃんを見た瞬間、自分の意識は...


変わりませんでした。。。

赤ちゃんが生まれた瞬間に泣いたというお父さんてたくさんいるじゃないですか。
自分も、実際に生まれてきたら気持ちは変わるのかなぁ...とか思ってもいました。
が、その瞬間は変わりませんでした。

生まれる瞬間は立ち会ったし、感動もしましたよ。
嬉しかったし、妻への感謝の気持ちも大きかったし、本当に色んな想いが巡りました。
けど、生まれてきた赤ちゃんに対しては、「カワイイ」とか「愛している」という感情は、その瞬間は芽生えなかったのが事実です。
むしろ、「ちゃんと愛せるだろうか?」「ちゃんと育てられるだろうか?」と、不安な気持ちも少なからずありました。

それでも、一緒に生活してく中で、いつからか、赤ちゃんが可愛いと思うようになっていました。
何か大きなきっかけがあった訳ではありません。
徐々に徐々に気持ちが変わっていき、不安ばかりだった自分が、気付いたら自分の子どもが可愛くて仕方なくなっていたんですよね(^-^)
自分がこんなに子どもを好きになれるなんて、自分自身がビックリしているくらいです!


そんな経験をして、「無償の愛」ってこういうものなのかというのが、なんとなく分かるようになりました。
上の2人の子どもは、愛しているつもりだったけど、きっと、「条件付きの愛」だったんですよね。
あれをやったら愛してる、これをやったら愛してる、あれをしなければ愛している、これをしなければ愛してる...

条件付きの愛って、考えてみたら、その人を尊重している訳ではなく、自分の都合に合わせてくれるなら愛するという傲慢な考え方ですよね。


それでも、2歳の次男がどんなにイラつかせるような行動をしたとしても、それすらも愛らしいんですよね(*^^*)

これから、次男が成長していったら自分の感情がどう変わるかは、まだ分かりません。
けど、今は、心から「無償の愛」を提供できている気がするんです。
それが、いつからか「条件付きの愛」に変わってしまうのかもしれません。
いつからか「条件付きの愛」に変ることは、悪いことでないし、むしろ当たり前の事なのかもしれません。
そして、子どもを育てていく中で、自分自身も少しずつ変わっていき、いつ「無償の愛」から「条件付きの愛」に変わったのかは本人も分からないのだと思います。

ですが、僕は、ありがたいことに、年の離れた子どもがいる事で、愛し方の違いについて考える事が出来ました。


勉強なんて出来なくてもいい!
運動だって出来なくてもいい!

とにかく、健康で元気に笑顔で過ごしてもらえれば、それでいい!!
生まれてきた時は、みんなそう思っていたと思います。

生まれたての赤ちゃんに、「東大に行って欲しい」とか「プロ野球選手になって欲しい」とか「一流企業に入って欲しい」とか「芸能人になって欲しい」なんて思う人はほとんどいませんよね?

それでも、いつからか、周りの友達と比べて運動神経が良いか悪いか、勉強が出来るか出来ないかを見るようになってしまうんですよね。
それは親なら仕方ないことだとは思います。

それでも、やはり、生まれてきたころの無償の愛って忘れてはいけないのではないかなと思います。
その無償の愛が、子どもの自己肯定感を上げる事に繋がります。
そして、無償の愛が、何事にもチャレンジする勇気を与えられるのだと思います。


皆さんは、子どもに対して「無償の愛」を与えていますか?
自分の都合で「条件付きの愛」になっていませんか?

ちなみに、僕は、寝る前に必ず、

「今日の一日ありがとう。生まれてきてくれてありがとう。愛しているよ。」

と、次男の寝顔を見ながら心の中で唱えています。

この無償の愛がいつまで続くかは分かりませんが、唱える習慣を続けていきたいと思っています。


今日も長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございます(^_-)-☆


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