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壮絶な過去も未来の糧や

家庭内で子供への虐待が起こる理由はさまざまだ。ストレス発散のターゲットにされるケース。親の価値観を押し付けて子供の心を潰すケース。子供が邪魔で世話を放棄するケース。他にもあるかもしれない。

ウチの場合を語るなら、私が虐待される根本的な原因は、重度身体障害者になった父の劣等感と悔しさのはけ口にされたことだろう。突然に身体の自由を奪われ、虐げられ、笑いものにされ、時には暴力のターゲットとなる。今のように障害者雇用制度もない中、重度身体障害者になった父は収入を得る道も閉ざされた。もう半世紀以上も前のことだ。今よりも障害者への理解のない世の中だった。鬱積した怒りは、複雑な形で長子である私にぶつけられることになった。

私は優秀であることを求められつつ、父の怒りのはけ口にもなっていた。勉強がよくできる子の父でありたい。「障害さえなければ自分は優秀な人間だったんだ」と世の中に見せつけたかったからだろう。その一方で私を虐待のターゲットとしたのは、こいつは何をしても潰れないから安心して甘えられると感じていたからだろう。

冬になると毎年肺炎を起こして入院する虚弱な弟や、家計を支える小柄で病気がちな母を飛び越えて、私は父の虚栄心を満たして悔しさを解消するいい道具だった気がする。当時はそこまでの分析ができず、家族の中で唯一元気だった私がこの家を守り、暴れる父のために家が崩壊しないよう、必死に支えようとするので一生懸命だった。

父が死に、母も重度障害者になった後ほどなくして死に、弟までも重度障害者になった今。私はようやく自分が置かれていた立場がいかに理不尽だったのかを理解した。虐待の洗脳が解けるのには長い年月がかかるものなのだろう。

洗脳が解けた今、自分の子供時代にキャッチフレーズをつけるとしたら

障害者家庭生まれ貧民窟育ちの虐待サバイバー

ネット上で自分を表現する時に、私はこの言葉をよく使っている。

そして、自分の生い立ちを思い出すたびに心に浮かぶ言葉が1つある。

壮絶な過去も未来の糧や

私はこの言葉にすがって生きてきた。やられっぱなしの人生にはしない。やられた相手にやり返すことができない時は、これを将来にどう生かそうかと考える。子供の頃からそうだった。もっと大きくなったら、この経験を背負いつつ、何かで人生の一点突破を果たして成り上がってやろう。貧民窟と揶揄される汚くて犯罪まみれの団地から、私は必ず成り上がる。そんな子供時代を送ってきた。


私が住んでた家の写真です

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ネット、主にツイッターで自分の生い立ちや障害者関連の情報発信を続けていたある時、出版社の副社長アカウントから

ウチの出版社が企画しているトークライブで話してみませんか?

と書かれたDMを頂戴した。フォロワーが3600人ちょっとしかいない弱小アカウントをどうして発見したんだろう。きっとなりすましかなんかだろう、と失礼な勘繰りをしつつ、

なぜ私なんでしょう?

と返信をしたところ、返ってきたのは

どこでお見かけしたかまでは覚えていませんが、あなたの発信には重みがあります。固定ポストの言葉もそうです。経験に裏付けられた言葉には凄味があります。ぜひ語って頂きたい。いかがですか?

調べたところ、その方はサンクチュアリ出版のリアル副社長だと分かった。マジかよと震えつつも、言葉に重みと凄味があると言われた時、やられっぱなしだった子供の頃の自分が、またひとつ報われた気がして心から嬉しかった。

10月8日火曜日。19時半から21半までの2時間。東京大学そばの出版社のイベント会場で、私は自分の半世紀の軌跡と、負の経験をプラスに転じるための知恵と心の持ち方について語ることとなった。

これがトークライブのフライヤーだ。

タイトルはどうします?サブタイトルや、経歴紹介もしますから。ご自由に自分を表現してください

と言われた時、私は迷わず

過酷な過去も未来の糧や

にして下さい、とお願いした。強い思い入れがある言葉だ。

人生はやられっぱなしで終わってはいけない。やられたらやり返す。といっても、相手に反撃をくらわすという意味だけではない。やられた分のモトをとって、人生の不幸に反撃をするという意味でもある。糧にするんだ。傷にするのではなく。そして

泣いた分だけ幸せにならなアカンやろ

子供の頃から一貫して自分を鼓舞してきた言葉をサブタイトルにした。


東京の出版社のイベントホールに招かれてトークライブをやる以上、そこにウソがあってはいけない。言葉に重みをもたせるためには、背景に実体験を背負ってなければならない。聞きにきてくれる人の心を射抜く力が欲しい。

そこで私は、これから数回にわたって、自分の人生が「過酷」と呼ばれるに足るかどうか、簡単にご紹介できればと思っている。

そしてもし、過酷な過去を踏み台にして成り上がりに成功した女の顔を見たいと思われたら。是非会いに来てください。会場で、または動画配信で。

詳細と申し込みは、こちらをご覧になって下さい。


+++サンクチュアリ出版にて行いました+++

単独トークライブ 大成功でした!

会場で観覧下さった方から、早速ご感想をいただきました

動画配信なら まだご覧いただけます

サンクチュアリ出版公式 動画ショップ

もし上記リンクに不具合が出ましたら、こちらをお試しください!
人生を変える授業オンライン

是非リアルくりからんの迫力を体感してください!

2024年10月8日(火)19:30-21:30(19:00開場)
サンクチュアリ出版地下1階イベントホール
東京都文京区向丘2-14-9
地下鉄南北線 東大前駅 徒歩5分

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以下に、簡単な経歴を貼っておきます 

幼い頃に、父親が脳動静脈奇形の手術を経て重度の身体障害者に。小学校入学までは知り合いの家をたらい回しにされ育つ。空腹のあまり公園で木の枝を食べていたら、ホームレスから食パンの耳をおごられる。

やがて母親も重度の身体障害者に。原因は遺伝性の脳血管奇形。貧民窟と呼ばれる古い団地で、差別と闘いながら成長。人生に絶望した父親の自殺を説得して止める。当時9歳。

中高生時代は、薬の副作用で暴れまわる父が障害者の母親を虐待。止めに入ったことがきっかけで父の怒りが私に向かい、障害者の父から虐待されながら暮らす。

似たような境遇で育つ子たちが次々と人生の道を踏み外していくなか、勉強で人生を一点突破して旧帝大へ進学。その後、自身も母親と同じ脳血管奇形が多数あることが分かり、さまざまな体調不良を抱えながらも、人生を見つめ直すために海外放浪ひとり旅を繰り返す。

結婚後、落ち着いた家庭を手に入れるも、自分と同じ脳血管奇形からの出血で高校生の娘を亡くす。子供の頃からの夢だった、教壇に立つ仕事を35年。病状の悪化のため引退。その後は文筆活動とソロ活を楽しみながら、人生の後半戦に備える日々を送っている。

信条は「人生も闘病も頭脳戦や」


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生き抜く病人 くり からん
もしご支援いただけたら、同じ病で逝った家族のために線香を買います。この記事を書くきっかけとなった闘病ブログに登場する身内です。出演料という言い回しはヘンですが、彼らに還元したいと思ってます。