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伊勢金比羅参宮日記(20) 関ヶ原・墨俣・大久手

3月27日(59日目) 関ヶ原


 天気吉、暖気、早晨に出発し少し行って、美濃と近江の寝物語の家がある。縁起を売る。

 そこから少々行き、車返しの坂がある。今須峠。


 今須を越えて、常磐御前(源義朝の正妻:頼朝義経の母、平清盛の愛妾)の石塔があったが見られず。左の方に城跡(玉城跡)がある。

 また小さな峠がある。大関村、不破の関跡あり。

 そこから関ヶ原宿に至る。この辺りで養老酒を売る家多し。味わい吉、垂井宿を過ぎて、熊坂物見の松、青野が原あり。圓顔寺(円興寺)、義朝と義平の石塔あり。見なかった。

 赤坂美江寺を過ぎて、合渡(神戸町)に泊まる。

3月28日(60日目) 墨俣


 合渡(神戸町)を出発して、肥前公(肥前佐賀藩主鍋島直正)が加納御泊ということで途中拝礼する。鹵簿(ろぼ:天子の行列)なし。


 雨止まず。郷戸の渡、すのまた(墨俣)川舟渡、鵜沼、鵜遣い多し。鵜沼、太田(美濃太田)の間には、木曽川舟渡があり、渡舟場からみたけ宿までの間の弓手(左手)には峨々(がが:山の高く険しいさま)たる巌石(岩石)、目手(右手)には木曽川の流れがある。絶景なり。ただ恨むらくは(うらむらくは:残念なことに)、雨中で遠望出来なかった。岩穴に岩屋の観音あり。

 みたけ(御嵩の伏見宿)泊まり。大阪屋に宿す。

3月29日(61日目) 大久手


 朝霧、4つ半時(午前11時)には晴れる。ふしみ(伏見)を出発し、みたけ(御嵩)、細久手、大久手、大井、中津川に至り泊まる。田丸屋に泊まる。

細久手

 この間、12里残らず山の中ばかりで、景色が良かった。細久手、大久手の間には烏帽子岩、母衣岩などが道の側にあった。


 大井から大久手までの間は13の峠があった。もっとも格別難所でもなかった。


 大井から大久手の間に西行の塚がある。その間から伊勢参宮道あり。


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