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伊勢金比羅参宮日記(14) 岡山・赤穂・姫路

3月9日(41日目) 岡山


  快晴、出発して吉備津宮(吉備津神社)へ参詣。そこから岡山の御城下へ出る。この間2里、とても良いところである。賑やかさは名古屋に次ぐ。

 そこから藤井まで2里、ひと市(岡山市一日市)まで2里、かがと(備前市香登)1里の距離である。

 そして印部(備前市伊部)に出る。ここは備前焼物を商う。形状種々あり、値段は至って安い。

 そこから8丁行って片上(備前市片上)である。そこの角の夷屋という宿屋に泊まる。良い宿屋である。


 歩行よろしく、印部焼というのは、酒を入れるに限る。この器の凄いところは酒の味が変わらないところである。外細工ものはあまり良くない。値段はかけ値が多く、大体半値であれば売ってくれる。心得ておくこと。たくさん買って土産物にするのも良い。しかし、何分江戸廻りはとても不便らしく、もしたくさん買うのであれば、しっかり商家に聞いておくことだ。船で送ってもらえれば土産にしてもいいだろう。(角壱本徳利224文、同六合徳利124文位也)

 

3月10日(42日目) 赤穂


 快晴。片上から赤穂へ船に乗る。この間海上を6里、一艘10人乗り、2朱くらいから650文くらいである。屋根船は2朱と200文くらいである。

 赤穂は塩畑が多い。町並みは宜しからず。花岳寺、義士(赤穂浪士)の木像、宝物など開帳あり、義士の遺墨(故人の書)が種々石摺(いしずり:石碑等の文字を紙にすり取ること)にして、この寺より出している。

 今日は真筆を見たが、やはり石摺が欲しくなり申し入れしたが、摺りものはなく残念であった。大石の書状は買っておくこと。

 ここで茶漬けを食べて片島を過ぎて、正しゅう(兵庫県揖保川町正条)に7つ半時(午後5時)泊まり。丸屋利左衛門、良い家であった。


 赤穂からここまで4里ほどである。小さな峠があった他は平坦であった。

 片上から赤穂へ船で廻った。暇であったが、陸を行っても大半同じである。陸は道が悪いところが多い。船で行くのが良い。この舟は大海と違って、入り江であるので、川舟と同様で足が休まって良い。

3月11日(43日目) 姫路


 晴れたり雨が降ったりではっきりしない天気。昼頃は晴れ、7つ半頃(午後5時)から雨。

 正条を出発し、斑鳩(いかるが:兵庫県太子町)姫路に出る。姫路の御城下は良いところである。岡山に比べると下る。御城天守閣は結構である。草細工問屋が多い。中でも中二階町の立花屋庄八郎方がよろしい。この家は掛け値なし。1匁のものであっても、ようやく45厘まけてくれるほどである。(正札付きが多い)。

 ここから、豆崎、市川、本海道を右に入る。細道であり曾根天満宮松がある。手植え松(菅原道真公お手植え)、根と幹が僅かに残る。植え継の松が茂っている。連取の松には、2~3?足りない。


 そこから20丁ほど行くと、石の宝殿が山間にある。3間4方2丈ほどの切り石が水中に浮んでいるように見える。絶妙である。


 そこから高砂へ出る。一里ほどである。高砂は思いの外良いところである。町端に御米蔵(池田輝政が城主の時に伏見から米蔵を移し百間蔵を作る)がある。50間あまりのものが2つ見える。

 宿は、津りや伊七郎である。この宿はとても大家であり、賄い(まかない)もよろしい。離れ座敷、3階建てで部屋数70あまり、召使40~50人ほど。今夜は200人程宿泊しているようである。2階、3階共に雪隠(便所)がある。

 町の端に、第3番札所の十輪寺の相生の松(相生の松は高砂神社にある)が庭にある。

 赤松、黒松が一根で両幹であり不思議である。

 高砂の社は大社。松に相対して小社あり。即厨姥の社である。


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