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伊勢金比羅参宮日記(8) 伊勢神宮到着・二見ヶ浦
2月20日(23日目) 山田
晴天、暖かい日である。山田は他より寒気が強いが、思いのほか良いところである。
この日、早朝より出ず。
外宮、内宮、そこから朝熊岳まで行く。お供の者が一人で弁当持参で来た。帰った後、小神楽修行があった。その後、古市杉本屋へ行く。また、そこを出て、備前屋にて遊ぶ。歌野、梅路という怪物が出た。
私たちは、参宮役料のお役目で小神楽金300匹、他に山役銭など330文を修める行である。もっとも本役というのは、金1両2朱であるため、本役には参宮したり朝熊岳に行くにも駕篭を出してもらえる。お供の者が付き、看板着用し、座敷やそのお膳も結構なものである。駕篭の者へはご祝儀300文も遣わすこと。小神楽で本役であると、大神楽と同様である。
御師のところへは奉金を減らすべきではない。三役以上は勧めてはいけない。案内の者へもご祝儀として200文くらい遣わすこと。因(ちなみ)に言っておくが、古市であるので妓楼も多い。花代も様々である。しかし、備前屋、杉本屋、油屋、柏屋という家は四大家である。
ここから、おやま(江戸では遊女を女郎というが、上方ではおやま、傾城(けいせい)という)花代22厘5分で、その他に何も入用なし。何日も留っても、決まった値段の他にお金は必要ない。三味線もおやまに弾く者がある、芸者をあげてはいけない。定値段の他に値が上がっていき、悪い者に掛け合ってしまうと参ってしまう。この地は、御地と申すにはこれ無く、茶女と申すものにて、茶見世の申立の由、その印は上り口に湯釜がいつも掛かっている。気をつけて見ること。
音(おん)という者が備前屋で興行していた。これは壮観であった。必ず見ておくこと。その代金、一座で金一両である。もっとも一行10人位まで一両で済む。
音と座敷まで連れの者を通して、お菓子やお茶を出す。この時、すりもの、三方に乗せて出す。これは一座に一度である。早く引き上げて、懐にしまってしまうこと。
音と踊っているものたちは、みな娼婦である。全部で30人くらいで、そのうち4人は三味線、2人は胡弓。衣服はみんな対で、桜ちらしに、源氏車である。
2月21日(24日目) 二見ケ浦
晴天、雲多し。夕方に少々雨が降った。
今日は二見ヶ浦を見に行った。
夕方、伊勢崎の仲間が4人来た。
(多賀源門、文五、新岡、栄政)と連れ立って備前屋牛車樓に登った。ヲンド(伊勢音頭?)は一見の価値あり。
夜になって大雨になり、朝には止んだ。
今宵の大一座は面白かった。
2月22日(25日目) 出発・大和路へ
雨降る。五つ半時(午前9時)出発。
(出発の時、門前にものもらいがたくさん集まっている)まき銭用意すること。
櫛田川手前あたりから雨が降ってきた。とても吹降りで難儀した。
ここから六軒茶屋行き、はせ越え、伊賀越えの立て札があった。
ここから大和路に入る。八太(はた)(現:三重県一志郡一志町伊勢八太)に泊まる。