伊勢金比羅参宮日記(10) 法隆寺・當麻寺・吉野
2月26日(29日目) 法隆寺・當麻寺
快晴、霜気多し。
水泉法隆寺は大刹で見どころが多い。案内を頼むこと。48文くらいである。
いにしえの清涼殿、紫宸殿などの遺殿がある。古色(古びた様子)を観ておくことだ。
伽藍の中には神代の杉の扉があり、その扉を開く時に簫(しょう:中国の縦笛)の音を発する。妙なり。
少し行くと、竜田明神(龍田神社)がある。
そこから、龍田川、三室山、竜田山がある。
川は板の架け橋の上を渡る。
また少し行くと、大和川舟渡りがある。そこから行く達磨寺には、とても小さい達磨の像があり、妙なり。
このお堂の後ろに非石非銅犬の形がある。毎年大晦日の夜に吼えるという怪しい噂がある。
この間に、染井寺(石光寺=染寺=染井寺)がある。桜の古木、梅の古木、愛すべきものあり。
當麻寺(當麻寺)では曼陀羅の御開帳しており、誰でも120銅で見せてもらえる。この曼陀羅は後世のものである。本物であるか偽物であるか、他の宝物もみな後世のものである。
大和の名刹や古跡は、すべてその古さを想い見ること。千年の歴史を持つものが多い。
當麻寺で高田はどちらか聞いてから、出ずべし。このあたり吉野、高野道があり迷いやすい。気をつけること。
ここから、八木(大和八木)、蘇我村(橿原市曽我町?)などを過ぎて、阿部に泊まる。宿はかどや安五郎であまり良い宿ではない。
2月27日(30日目) 多武の峯・吉野
天気吉。
阿部を出発して、50丁登って多武の峯へ行く。25日正、遷宮後であるのでとても華麗である。かつ、御山は険しい森である。七在処などの歌とは違う。
ここから吉野までの四里はすべて山坂である。大和第一の難所であるが、多武峯は下りが多い。この道は平日は寂寞(せきばく:ひっそりしている)である。
この時期、大峯行者が菩薩吉野において開帳。老若男女が絶えず行き交う。所々に茶店がある。
吉野川舟渡、北峯上市、南岸は下市である。川上、妹山、脊山があり、よく、見える。
吉野山桜花将に発するの節なり。御開帳であるので吉野は盛り上がりを見せている。
大阪から芸子が来ており、見せ物などが多い。しかし、飲食、地を拂って無き処なり。普段の時が思いやられる。値段はもっぱら高値であり、この辺り茶漬、酒肴、宿泊費などまで、値段をちゃんと聞いた後に食べること。
蔵王権現を拝礼する。弁慶力石(力釘?)。義経の馬蹄の跡、義経蹴破の旧跡など見ておくこと。(頼朝に追われ、義経、静御前、弁慶が一時隠れ住んでいた。)
これより大峯開帳を拝礼する。
ここから無田(吉野町大字六田)という処へ40丁。(平坦)下りて宿泊。小竹屋という宿屋。この宿、綺麗であってよろしい。しかし、あまりに大言を言ってしまい、御馳走されて、宿料1人前500文ずつ取られた。
大山の開帳帰り
ほら吹いて
むだの旅籠を
五百取らるる
2月28日(31日目) 高野山
快晴、大暖気。
無田(六田)を出発して、無田六条で弁当を食べる。このあたりはとても賑やかである。ここから30丁も行くと紀州(和歌山県)である。橋本、吉野川がある。舟は毎日若山(和歌山)へ出ている。
橋本、加むろ(橋本市学文路)、共に賤妓(歌妓や娼妓を卑しんでいう語)がある。
ここから加手村(河根村)に入る。ここから御山(高野山)まで150丁登って御坊(金剛峰寺)となる。いたって難所である。加手村中屋団次郎(河根村)に泊まる。良い宿屋である。
この先1里行くと麓にかみや(神谷)というところがある。この村からは、夜かがり(かがり火)を使ってでも御坊(金剛峰寺)まで案内してくれる。この村は御坊の案内であれば、いつでも連れ立って御坊まで付いて行ってくれる。
日暮れになってしまったら、大難儀である。加手村(河根村)に泊まること。