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伊勢金比羅参宮日記(5) 秋葉山

2月11日(14日目) 秋葉山


 曇天。三倉を出発する。

 ここから御山(秋葉山)まで全て峠である。朝10時から雨が降ってくる。一之瀬から馬に乗る。馬上は寒さが一段と厳しい。御山に近付くにつれ雨に雪が混じってきた
 麓(ふもと)より14丁(1丁=104m程)手前に茶店があった。一軒だけの茶店で主人の名は「六」という。店の中は上州あたりとことごとく似ている。ここから先へは軽尻馬(空尻馬:本馬というと荷物三十六貫を積むが、空尻馬では半分の十八貫しか積まない)では進めそうもない。この茶店で少し休み、火を焚いてもらって暖まらせてもらった。この店の主人は猟師である。元六十六部であった。

 六十六部:六部とも言う。日本六十六か国の神仏を遍歴して法華経を納めるという行者で、男女とも衣服、手甲、脚絆などみなネズミ色の粗末な木綿で、腰に下げた鉦(ふせがね)や手に持った鈴を鳴らして、家の門口に立って、御詠歌など歌いながら物乞いして旅をする。

 ここからは徒歩で麓の乾(犬居)という所に到着した。この間、気田川舟渡があり、武家以外では12文の料金。この辺は町並みが続く。

見附

 尾張屋という家に到着した。ここから御山まで50丁の登りである。まだ昼の12時頃であるが、雨や雪が降っており、その上足も痛いので、ここに泊まることにする。

2月12日(15日目) 石打

 雨雲が幾度も通り過ぎ、雨の降った後も晴れたり曇ったりで定まらない。

 乾を出発して秋葉山の山道を14丁登る。麓にまた宿屋茶屋があった。ここから秋葉山へ50丁登りばかりが続く。周りは杉の木が多い。この辺には8~9丁ごとに茶店がある。安部川餅や蕎麦などを商うが、どこも味はあまり良くない。

遠州秋葉山

 御山の霊は尊ぶべきではあるが、この険しい山道では人々は大変である。

 御山は雪がたくさん降り積り、寒いこと甚だしい。氷柱が多いこの寺は、臨済宗の大きな禅寺である。200人余りの修行僧が寺内に御こもりし修行している。

 ここから表門へ出て、鳳来寺道50丁の下り坂。表に比べるとかなり急な坂である。

 この御山あたりの物価は他の土地と比べて高い。犬居(乾?)から戸倉までは辛抱しなければならない。

 戸倉村。戸倉から一之瀬村まで1里半あり、山深いところである。お茶畑が多く、谷間には蜜柑や橙畑がある。これらはとても美味であり、値段も安い。この辺りの山中は杉の木ばかりで他の木が見当たらない。

 ここから石打。坂は極めて急で難所である。平地はまったくない。この辺は椎茸も栽培している。

 石打村の山形屋、森下屋は家の作りも良く、宿屋ではあるが軽い食事も出してくれる。熊村に到着。湊屋にて宿泊することにする。この宿屋昔から今まで並びものがない程の天下第一の悪宿屋である。まだ日が高くても石打に泊まるべきである。


 秋葉山の霊は言うまでもなく素晴らしいものであり、霊験(神通力、ご利益)も著しいものがあり尊ぶべきである。しかし、道路の困苦、飲食の粗悪は実に堪え難いものがあり、足の弱い者は、登ってもいいが、無理して登らなくても良いだろう。


 この辺を過ぎ行く人は、日がまだ高くても良い宿屋が見つかったならば、そこで宿泊するべきである。さもなければ日暮れなどはとても難儀し、かつ足を痛めてしまうことだろう。

2月13日(16日目) 座頭ころばし


少し風はあるものの快晴である。霜が降り少々暖かく感じる。

 熊村を出発し、大平村に着き馬を頼むことにする。

 ここから「座頭ころばし」、嶺には「三這(みつばい)の堺」がある。ある人は「馬殺しまで難所が多い」と言う。もっとも逆から来る人にとっては下り坂が多いと言うことになるが。

座頭ころばし:目の見えない人が一度転ぶと止まらないほどの坂

 ここから須山村(巣山)と細川村の間の村である。大野村に入ると少しは町並みがある。桐屋という茶屋で昼飯を食べた。ここから御山まで30丁の登り。秋葉山に比べると坂は急であり、且つ石が多い。

 熊村から大野まで50丁、道は4里半ほど平地がない。御山の30丁目に行者返しという岩を1丁ほどよじ登った。ここから6丁ほど進む。(ただし、この間は却って下りであった)峯薬師(鳳来寺の薬師如来:現存せず)で拝礼を済ませ、そこから9丁ほど下り。この間すべて石の階段である。

 そこを下りてくると村があり、茶店も多くある。「根仙亭」にて休む。ここで一服してやっと山道から解放された気分になった。お茶や酒、肴がすべて旨く感じる。帰りしなに駕篭屋があり、新城まで乗った。この間50丁、1里300文で3里乗った。夕七つ(夕方4時頃)新城に到着。この新城という所は思いのほか賑やかな町である。七千石の町である。

 菅沼織という正御陣屋がある。柏屋という宿名がある家である。この宿屋木瓜屋も良い宿屋である。鳳来平までの村々では、若い女性から年寄りの女性まで「背負いモッコ」で材木などを運ぶのを仕事としている。ここまでの山の木々はすべて杉の木である。傾いた高い木が多い。また、生の杉の葉をたくさん背負って行く。「それをどうするのか?」と聞くと、すべて抹香を製し浜松へ送るという。

 この辺りの馬士の唄は、群馬と変わることがなく、その歌詞

「上州追分桝方の茶屋で引、なみだほろりがナァーわすられぬ」と言う。


 これほど離れた土地でも、その歌詞は同じであることが不思議である。遠くこの地で、風俗すべて馬士に至るまで、純朴で礼儀正しいところに感心することが多い。また、嘘をつくこともなく、少々儲けても、それを貪らぬこと実に愛すべきことである。これすなわち、唐土の魯国(孔子の生まれた国)の如く、大聖(孔子)の遺俗を尊ぶべし、尊ぶべし。


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