伊勢金比羅参宮日記(17) 京都
3月18日(50日目) 宇治平等院
雨天、出発して岩清水八幡宮へ参詣する。そこから宇治へ至る。茶飯を食べて、そこから平等院へ行く。宝物開帳、古色見ておくこと。(源)頼政の墓、高倉院の古殿、扇の芝鎧掛の松など一見。
そこから黄檗山萬福寺一見、唐造作、見るべきものなり。
伏見に廻り、藤の森天王稲荷社(伏見稲荷大社)、東福寺など雨であったので寄らなかった。
伏見から京まで町続き、但し2里半、夕刻3条通り大榎東、越後屋五郎兵衛宅に着。
3月19日(51日目) 京都
曇天、聖護院村に行く。中島文吉(中島棕隠《そういん》儒学者)、梁川新十郎(梁川 星巌:漢詩人)、貫名泰次郎(貫名苞:貫名海屋:儒者)相訪う。貫名は病気にて逢わず。他はみな一見寛話。
そこから四条通り高倉西へ入る。南側にて梅辻春樵(日吉神社神官の子:漢詩人)を訪ぬる、同じく面会。
そして、牧氏を尋ねて所々を歩いてみたが、判らず空しく帰る。
3月20日(52日目) 京都東山
晴天、五つ頃(午前8時)池田直記君来る。五つ半時(午前9時)、正兵衛に案内してもらい本能寺から御所へと一見した。
そこから三本木に出て東山に移り、吉田に至る。ここ金雲山光明寺には法然上人腰かけ石(紫雲石)がある。知恩院の座敷を拝見、南禅寺門前の丹後屋にて茶漬け食す。今は甚だ令落(零落:さびれている)。
ここから祇園社清水観世音参詣。音羽瀧一見。そこから大仏(方広寺:大仏現存せず)、三十三間堂、阜塚(耳塚)あり。
そこから東門跡に出て帰宅。
知恩院金屏風などの拝礼には5~6人で200文ずつで、榎雀(抜雀)、立戻の鷺(サギ)などあるが、信用すべからず。
九起(北村九起:江戸後期の俳人、京都東山双林寺芭蕉堂に住す)を尋ねる。皆小庵である。清水焼物多し。
知恩院本堂の屋根に傘あり。由緒(忘れ傘:本堂正面東よりの屋根のひさしにあり、左甚五郎が魔よけのために置いたと言われている)のあるものなので一見すべし。
今夜風邪気なので早く寝る。