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愛とは


~追記~~~~~
いくら丁寧に書いても理解されないひとにはされないことが分かったので、瓶につめたお手紙を海に流すような心持ちでいます。文章がねじ曲がって伝わるのをいくら嫌っても、やっぱり無理なものは無理なようです。あと、淘汰されるのも嫌なので。

ありふれた薔薇の海に投げ込んで淘汰させた。
死んでも死にきれないページは101本目。

きちんと読んでくれてアクション起こしてくれた方もいました。この文章が伝わって嬉しいし、あなたのお気持ちもきちんと伝わっています。ありがとうございます。
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シリーズというわけではないですが、漠然とした「愛っていったいなんなんだろうな…」という思考の切れ端から始まった一連の流れがあるので、前作を読んでもらったほうが全体像が伝わりやすいという前提でお話始めます。前作を読んでも読まなくても、一応読めはしますが、語り手の気持ちとしては伝わり方の湾曲が怖いという想いだけは注意書きさせてもらいますね。


絶望の正体
僕は、大人になれない/備忘録

愛とは
aiko ばいばーーい 歌詞考察

愛に絶望する/矛盾のお話
インサイド・アウトサイダー


このページでは、いち個人の愛についての考察や個人的な恋愛観を語らせてもらいます。愛については、夫婦愛や男女間の恋愛、親子愛、上司と部下の関係や友人同士という人と人の繋がりという広義的な愛についての個人的な解釈です。
今回語る結論に至るまで、たくさん本を読んでいたのですが、色々探っているうちに手に取る本もそこらに辿り着いたので、きっとジャンルとしてはたぶん哲学や倫理学、心理学とか、なんかそのへんです。が、別にそこまで難しい話でもないです。ただどうしようもない矛盾をどうしようもできない無力感が苦しいなぁっていう個人的な感情の吐露です。なんなら、長いけど全部読んでいただいたあなたと、愛についてお話したいです。

でも、そんなどうしようもない苦しみには、悲しみなどに近いマイナス感情は一切ありませんし、わかってくれなんて思いもないし、ムカついてなんかしら非行に走ったり、人外的な犯罪や迷惑を掛けてやる!とかも特にないです。でも、誰かになんか伝わったらいいなという一方な想いはあります。
そしてこの伝わったらいいなって気持ちは、今回お話する愛について一部であり、すべてでもあります。

いち個人の解釈なんか誰が読むねん!というツッコミはそっと胸の奥に引っ込めておいて欲しい。というか、ここに来てくれて、ここまで読んでくれた時点で愛があります。愛してくれてありがと。それが今回語る『愛』というものについての意味です。
整理して書くけどほぼ書き殴りなので読みにくかったらごめんね。


で、本編。
『無題、無駄な愛』です。
といっても上に貼ったリンク先、前回三篇のnoteの解説のような内容へとなっていくのですが、結局「愛っていったいなんなんだろうなぁ…」という疑問へと帰納していきます。(なんてこったい)

まとまりのつけかたもわからないので、
要するに察してください。笑

愛と絶望
表裏一体、二律背反、同義

そしてそれらは、自分にとって生きる理由にもなるし、もちろん生きるのをやめる理由にもなる。すべてをひっくるめて情緒とも言うかもしれない。境界線として倫理が存在してる。

子供と父親のすれ違いに罪はないけど、誤解(矛盾)から愛は絶望に変わるよなって話。インサイド・アウトサイダーより。


最近ひとつ、自分が他人と接するときに無意識下で気にしていたことがあることに気付いた。常に気を遣っているという話ではなく、性格上気にしてしまっているだけの話。こんな冷酷だと思われてしまいそうな考えをどうやったら上手に伝えられて、どうやったら動いてもらえるだろうか、みたいな情緒的な寄り添いばかり考えてる。他人といてエネルギーを使うなと思う理由はほとんどの場合がここに起因する。自分は語弊を恐れずいうとひとりが好きだけど、ひとりも好き、とも言える。誰かと同じ空間にいること自体に苦は感じない。
「疲れるのに遊んでくれてありがとう」という友達の言葉が深く胸に刺さったこともあった。自分の語彙のなさ、表現の下手さ、そしてもし上手く言えずに誰かを傷つけたら嫌だなという臆病さ。上手く言えなくていままで損してきたなぁ。相手に気を遣わせてしまった言葉を投げられるたびに、「あー、またやっちゃった」とひとり反省会をしてます。遊んでくれてありがとう。
自分もひとりの人間なので、誰しもと同じように間違いはするし、わからないものはわからないし、面倒なものは面倒だし、食べなきゃ腹は減るし、起きていれば眠くなるし、誰かを好きだと思えば愛情表現としてのセックスくらいはしたいと思いますよ、そりゃ。
個人的にこんな意識を持っていたところで気付けないひとには気付かれないまま、伝わらないまま、傷付けられる/勝手に傷付いてる。くどいようだけど被害者意識ではなく、性格上の話。繊細過ぎて荒々しい世の中が難しいとか、センシティブが過ぎてるってだけ。ある意味これは表現の武器にもなるので悲観的にもなってないです。ただ、自然の日光が熱いとか、風のせいで切り傷が出来るとか、呼吸が自分の実像を薄くしていくとか、そういうのを癒すためにひとりの時間が必要ってだけ。木漏れ日を歩けばいいし、誰かの後ろを歩くような時間が必要ってこと。

けどその部分で人によっての解釈の違いというか、勉強不足からくる履き違えというものが苦しいし、必要以上に傷付いてる。そんなやつほっとけって言いながら気にしてる。これも性格上の話。わかりやすく理性と本能の話、要はただ本能的な男女間のやりとりなんかにも嫌悪感しかない。気にすんなほっとけって言いながらなんでなんだろうなーって考えてたりしてしまう、性格上。

遊ぶように寝てるひとらと、愛情を注ぐためのセックス。それぞれには、明確な意識の差があるにも関わらず、セックスはセックスだし、たとえ後者のような意識を持っていたとしてもわからないひとにはわからない。気付いてもらえないと思ってる時点で愛には絶望しかないなって、生きてるんだよね。特に同い年かそれ以下とはとことんうまくいかない。子供有り円満夫婦の人妻は最強。

昔、当時付き合っていた恋人からとても高価なプレゼントをもらったときに「来年は何もいらないから一緒にどっか行こうね」って伝えたけど、結局別れた。そういう話。

心にもないありがとうをもらうのも言うのも辛くて、本心のありがとうとは違う言葉にならないかなって思ったりもした。態度とか、言葉はいらないって話にも繋がる。ただ本心のままに感謝を伝えたら、こんな欠点ばかりのいち部下に対して涙目でお辞儀してくれた尊敬する上司だっている。

音楽を好きになったのも、服を好きになったのも、デジタル離れとドライブが好きになったのも、本と珈琲が好きになったのも、自分自身を形成している影には必ず誰かがいて、それぞれを思い出せるだけの愛があって良かったよ

アプリを通じて写真の姪っ子を思うとか、ラインの過去のやりとりを見てみるとか、夜中の公園のベンチであのときのあのひとの表情を思い出すとか、美味しいお店を見つけた時に今度連れてきたいなって思ったりとか。

自分は誰かに愛されたいという欲も特にない。評価もどうだっていい。ただ、どう見られているのかについてはかなり気にしてる。上に書いた理性と本能の話で例に上げると、こちらに相手を思う意識があろうがなかろうが、行為としては同じものである以上、たとえこちらに相手を思う気持ちがなくても愛されていると思われるのを非常に嫌に思う。例に限らず、意識の有無を相手には気付ける人間であって欲しいと常々願っているのだ。気配りという言葉にも近いかもしれない。
愛されていないことに対してはかなり敏感で、自分の居場所はここじゃないなぁって思う。承認欲求とか、そういう類のものでもない。相手のなかに私という認識があるかという点がポイント。
誰でもいいなら、そして自分よがりな相手であれば、そこの場所に替えが利くなら、じゃ別のひと呼んでくるね~!そこで待ってて!って感じ。笑
ナルシシズムや自己愛、それこそ前回のnoteに自己偏愛という単語が出たように、誰かにとっては僕はそういう風に映るかもしれないが、決してそういう思いはない。どちらかというと漠然とした劣等感から必死に"ふつう"という常識やバランス感覚を常に探り続けていると言ってもいい。
自己愛について少しつつくと、むしろ、相手が自分よがりであるほどこのひとは自己愛が強いなという認識。人それぞれだから距離感で解決すればいい。好きになれるところ、愛情持って接せるところからお話すればいいだけ。

自分はきっと、誰かに愛して欲しいんじゃなくて、ただわがままに愛せる対象が欲しかっただけなんだなぁって思えてきて。甘えたいとは完全に別物。そして搾取される感覚には敏感だから自分から身を引いてしまうし、恋に裏切りはつきものという臆病さからずっと恋愛が出来なかっただけ。愛を愛していただけで、それは幻像だったこと。これを一番最初は絶望って呼んでた。
恋に恋するのは渇望
恋を愛するのは欲望
愛に恋するのは絶望で、
愛を愛するのはあきらめ半分に希望を抱いていること。
与える愛は「お気持ちです」という絶対的な信用があるけど、受け取る愛には「箱を開けるまでは何が入っているのかわからない、怖い」という裏切る可能性を孕んでいて、猜疑心は拭えないという矛盾。成り立つのは信用。裏切られた瞬間が失恋。


恋愛も含めて、自分の価値観が世間とちょっとズレてるのは自認出来てるんだけど、逆に本能のままにホイホイできてしまう勢い任せなひとが評価される世の中ってどういうこと?
その価値観でいて、恋の駆け引きに悩むとか、相手が重いとか軽いとか、そもそも連絡の頻度が…って話は筋違いじゃないかなって。それでも表面的なドキドキはやっぱり楽しいし、何か起きるかもしれないスロットマシーンに中毒になるひとの気持ちも少なからずわかる。穴の開いたバケツにいくら水を入れても満タンにはならない。
愛は、愛する対象の有無と、愛という存在の有無だけ。認知の話。愛は与えても受け取っても、増えたり減ったりはしないし、自己犠牲で心身を削るのは愛じゃない。溢れるものをあげるだけ。自分がもう覚えていない誰かを既に忘れてしまったのは、その対象にいつしか愛がなくなってしまって、思い出す行為がなくなってしまっただけ。もうそこに愛はない。

愛することは誰かを想うこと?
半分正解で半分間違いだと思う。
無意識下にあなたがいるかどうかが愛するということで、それを噛み砕くと誰かを想うことって表現になるんだよね。
くどいようだけど、存在を認識することが愛だと思う。

それで、トランスジェンダーとか同性愛の話にも言及したい。
僕は昔から賛成派だった。というより、同性愛こそが異性愛よりよっぽど純愛だと確信していた。異性愛にも純愛は存在するけど、より分かりやすいという意味。性別がある以上、愛だけではどうしようもない事実もあって、そういう本能的な種の存続を度外視した部分に真っ向から対抗しようとする人間的なひとたちを敬愛するしすごく美しいなって思う。

『僕は、大人になれない/備忘録』の話に近づいて、大衆の親、絶対的な悪と行き過ぎた正義は悪になる、主観と客観について。
愛って情緒の塊みたいなものじゃないですか。内容のままなんだけど、情緒的が間違いってなると本当に意味がわからなくなってしまって。笑
美しいと感じるのに、遠ざけて、安全圏から指咥えて見てんのよ。インサイドにいるアウトサイダーであって、プレイヤーでありながらも目の前で起こることを傍観してる。まるでおもちゃを買ってもらえない子供みたいに、自分が。
心と身体が乖離してしまう離人症に似た何か。

愛着障害や投影性同一視、病的なひとり好きであるスキゾイドパーソナリティ障害、赤子には乳という対象関係論。家族という小さな社会、小さな組織の安全圏が不安定に脅かされたならばそれは絶望しかないでしょ。その先の組織に対しても同じ。どこに絶望があるか、どこまで信用があるか。認知してもらえる愛情が存在しているか。地球という組織を愛せられれば博愛主義になる。
誰かと誰かを繋ぐ愛にねじれや矛盾が生じることで、過干渉や共依存、裏切られたという誤解、愛の暴力にだってなる。ネグレクトは行為も現象も狂気的な自己愛の産物。

映画『子宮に沈める』は娘を殺してあげる母親に愛情を感じたし、漫画『血の轍』は愛情を注ぐと謳って自己愛を息子にぶつけてただけ。けど、どちらも愛。間違いではないし正解でもない。答えはない。気付いたらたまたま犯罪という領域にあった、だけ。社会的に間違いだっただけで母親の想いは苦しいほど理解出来た。
それこそ『劇場版シン・エヴァンゲリオン』は言いたいことをすべて代弁してくれているような感覚になった。
『結愛へ 目黒区虐待事件 手記』『春にして君を離れ_アガサ・クリスティ』、フランソワーズ・サガン、江國香織、グレイス・ペイリーなどもそう。

献身や偽善、慈善活動とか、博愛主義とか、そういう見返りのない愛だけでいいけど、やっぱ自分じゃないで済むならという感覚も捨てきれなくて。愛する対象が欲しいなって思ってる。けどそこには与え方や受け取り方に矛盾がある、という矛盾。自分が臆病になってしまう理由でもある。誰でも良いわけではないし、自分の中に相手を認識していたい。
崇拝とか、宗教とか、地球を救うとか、そんな胡散臭いのにはかなり抵抗あるけど、ハマってしまうひとは絶望から助けを求めてそこに希望を見出してるんだろうし、所属によって愛情を受け取ってること自体は別に悪いとも思わない。搾取という形だってあるだろう。良い悪いとか正しいかどうかはなんて誰にもわからない。そういう形もあるというだけで、僕は自分の理想とは違うなと思うだけ。

直接話したことはないけど、ゴミ拾いを仕事にして一生懸命に理想を、自分の住みやすさを、心を、自分自身を、必死に助けようとしている素晴らしいながらとても不器用なひとも知ってる。安全圏から眺めててごめんなさい、今度プレイヤーとして参加したいです。僕も自分の助け方がわからないので。


愛を幻想だと手放しに言ってしまうのも悲しくて、やっぱりどこかに希望は持っていたい。
そんな矛盾こそが人間的で、人間である利点で、特権で、美しさで、同時に悲しみでもある。


人によって受け取り方の変わる事柄に定義や概念はないし、そんなものは人それぞれの意味付けで良いと思う。

愛って一体、なんなんだろうね

あなたにとって、愛とはなんですか?

あなたは何が欲しいですか?

わたしは、愛が欲しいです。


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