歌詞考察 | aiko あたしたち
2021年9月29日発売予定、aikoの41th両A面シングルより『あたしたち』の歌詞考察をします。
全体の物語としては、あたしたちの行く末を思い描くお話。
終始、aikoが得意としてきた先見性ある視点で語られていて、俯瞰した抽象的な内容を歌っています。「苦手なことに向かってあたしたちは進んでいく」と、誰の中にもある抽象的な感覚が表現されたこの曲の中心部分は、受け手それぞれがどうにでも解釈できてしまいますが、このページでは私なりの解釈で進めていきます。
まずは、あなたとあたしの関係性を提示していて、あたしたちふたりだけの間にある決まった合図や挨拶があるくらいに積み上げてきた思い出や過去がある、と始まります。あたしたちは長く深い間柄にあることを読み取ることが出来ます。
生き生きとした(しているように見える)あなたに比べて、元気のないあたし。ここではあまりネガティブな印象はないように思えていて、このあとに続くようにふたりでやっていくための価値観の擦り合せが必要な場面にあることの表現として、あくまで対比としての表現と捉えたいと思います。
具体性を帯びた内容はここまでとなり、ポジティブな印象を与えるボヤッとした抽象的な表現のままサビから最後まで駆け抜けます。aikoのひとり妄想ワールド全開。
あたしたちの行く末を思う話として、これから好きと嫌いを繰り返しながらも続いていく将来を思い描いています。あなたとあたしが、あたしたちふたりとして生きていくために。歌詞に合わせて言えば、あたしの傍でまた優しく話してもらうために。
あなたとあたしとの間に起きるひとつひとつの出来事に好きと嫌いの答え合わせをしながら、他人同士であるが故にすべてを理解し合えないあなたとあたしが、いずれあたしたちとなれるように進んでいくことを表現しているように思えました。
ここではあたしたちを、それぞれ個々としたときの考え方に落としてて、aikoなりのあなたとあたしがあたしたちとなるための道筋にある試練を案じています。
個人的には「数年後にある想像つかない自分」という表現の仕方に少し違和感があって、あなたとの別れに悲しんでいるあたしという表現であるなら良いのですが、もう少し先にあるあなたを忘れてしまったあたし、もう思い出せなくなってしまったあたし、はっきり言うといずれくるあたしが終わる瞬間を恐れている表現としてのイメージを想像してしまいました。
これをあたし自身、ここではaiko本人としてもおよそ間違いはないと思いたいのですが、終わりが来ること自体にはあまり悲観的には思っていないよ、という話で続きます。悲観していないのはなぜなら、あなたとあたしの間だけにある暗号で繋がれるだけの積み重ねてきた過去があって、ひとつひとつを昨日のように思い出せるだけ濃厚で大切にしてきた思い出があるからだと語っています。
歌詞考察から脱線しますが、「想像つかないあたしたち/あなた」であるならまだしも、「自分」にフォーカスした語り口調に違和感を覚えイメージされた内容を以下に説明させてください。
記憶違いだったら申し訳ないですが、数年前のLLPのMC中にaikoが話していた内容を思い出させられました。「全然悲しい意味で捉えてもらいたくないんやけど…。いつか必ずあたしも歌えなくなる日が来てしまうだろうけど、まだ歌える間はみんながいてくれるまでは歌い続けなきゃなって思ってます。永遠なんてないから、今に感謝して生きていこうね(話し方は違いますが意味はこんな内容でした)」と。
ジャンキーさんになら伝わるであろうファンを意味する「お花ちゃん」や感謝の「あじがと」、そもそも「ジャンキー」という単語ですらも、aikoとaikoリスナーの間だけにある暗号で、積み重ねてきた過去で、一瞬にして思い出せるほどに濃い思い出になってしまっているのです。
ファンである以上はお別れなんて来ない!といつまでも言っていたい気持ちは絶対的にあるものの、ここまで抽象化された内容で関連性がある以上は、いつか来る人間の終わり、aikoとしての活動の終わりを意識してしまう部分がありました。当時にMCで語ってからも変わらず、終わりは来るけど悲しまないでいてほしい、あなたとあたしがあたしたちとして積み上げてきたたくさんの思い出があるからね、という意味がこの曲にも込められているように思います。
味気ない日に落ち込みどんどんすり減っていくあたし、もしくは終わりを思い描くことに悲しみの気持ちを持ってしまったあたしから将来のあたしたち宛へのメッセージに続きます。
悲しみのフィルターによってモノクロに見えた世界にいるのならば、あたしたちとして過ごした日々にある嬉しかった気持ちを思い出してあげたらまた世界は色づいて見えてくると言っています。
思い出は無くさずに持っていれば、たとえ離れていてもあなた自身が持つその思い出によってあたしたちそれぞれがお互いに回復できると信じているのです。
あなたとあたしがあたしたちとなるために、お互い居心地の良い関係となれるように答え合わせをしながら生きていくこと。
そして、「苦手なこと」と暗喩されたいつかくる終わりを考えることは怖いかもしれないけど、あたしたちなら受け止められるよ、といった力強いメッセージが感じられました。
そして、それはたとえば、aikoとしての活動がいずれ終わってしまっても、aikoの作ってきた曲を聴いて、そのたびにaikoを思い出して、色づいた世界を見ていて欲しいという願いが込められているように思います。
14thアルバム『どうしたって伝えられないから』でもあったように、直近のaikoがリリースする曲はどこか遠い視点にあるひととそのひとの繋がりそのものを愛と呼び、その関係性にある温かい根底部分をあえて伝わりやすく普遍的な恋愛ソングに見立てて届けていると感じています。
ファンとして少なからずバイアスがかかっているかとは思いますが、こと『あたしたち』に関しては、曲中のあなたとあたしはもちろん、aiko自身とaikoファンの間柄としても歌っているように思えてならないのです。
以上が『あたしたち』の考察になります。
今回は私情に偏った歌詞考察で恐縮です…。
『あたしたち』を聴いて、よかったらどんな感想を持ったか聞かせてくださいね。
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