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どこ?



自分がいなくなる感覚がある
それも、ずっと昔から。

おそらく自分は、いま操縦している“自分”と、常に“もうひとりの自分”という監視人を置いていて、その監視人は“ふたりが統合した部分”において圧倒的な支配力を持ってる。“監視人”は“自分”の理性を司っている部分で、それでいいの?それでいいの?と何度も何度も聞いてくるように思える。良心なのかは解らないけど、正しくあろうとする呵責に近いと思う。間違ったことももちろんするけどね。何でも、どうでもいいけど、何がそんなに怖いのかももうわからない。

最近聞いた面白い話をひとつ紹介させてほしい。
数学上の『点』の定義は、面積を持たない線の端のことを言うらしい。では、あなた自身を説明してくださいという問いに対して、あなたはあなたの周りにあるものを説明せざるを得なくなる。好きな食べ物、着ている服、趣味、友達やグループ、…。けどそれは、イコールあなたですか?答えはNo。
あなたは何か?を答えれば答えるほど、あなたの周りは色濃くなるばかりで、あなた自身の点が黒く染まることはない。あなたは確かにいるのに、掴みどころのないあなたばかりが見えてきているような。

これを自分に置き換えて考えだしたら、自分はどこにいるんだろう…となってきて。夢中になればなるほど自分はその空間に溶けいっているように思えてならない。
去年の年末に書いた『助走』というnoteに書いたことも、いま思えば全く同じことを言ってる。

監視人がいなくなったときの自分が、統合された自分のすべてを占めるときに自分がいなくなってしまうので、本当に自分は自分自身なんだろうかという気持ちになる。全部が自分なのは解ってるんだけどさ。笑


aikoに『トンネル』という曲があって、あなたといた日々のなかにあたしを落としてきて、ひとつずつ拾いあげていくことを思い出す意味の比喩に使っているんだけど、まさしく感覚としてはそんなイメージに近い。めちゃめちゃ良い曲だから聴いてね。


~

あなたが生きている理由はなんですか?と聞くと、ほとんど誰しもが欲や執着の中から答える。

では、もし欲も執着もなくなったら死にたくなるのか?そんなこともない。ただ生きても死んでもいいかなという中立的な感覚になる。

そしたら、なんで生きてるか。それは死んでないからという空虚さに辿り着く。まるでハート形の『点』を浮き彫りにしたように。

あなたはどうして生きてるの?
誰かのためになりたい欲があるから?愛したい欲があるから?思い出や愛着という執着があるから?いつか“アタリ”が出るかもしれないから?

仕事に限らず、たとえばバイトも、部活も、ほとんど誰もがサークルや組織に属している。言ってしまえば、誰でも良いものを誰しもがやっている。
そのあなたに割り当てられた誰でも良い居場所を、あなた以外の誰かが補完したら?
誰かに脅かされたときに自分の居場所を守りたい欲があるから?それが存在意義?生きてる理由?そのときあなたはどこにいる?

この空虚さを“生”として繋ぎ止める方法のひとつに、愛があるんじゃないかな。

愛が幻想だって、誰かが語ってたね。愛を定義付けようと誰かが必死になってたね。愛は、愛の意味は、生きる理由は、見つかったかい。

どれも空虚さが作り出した幻想だったかい。

愛とは|くり   

誤解を招かないように明言しておくが、希死念慮(=死への欲)は一切ない。

が、生きる理由が欲しいな、という欲の話。


~

自分が見てる自分と、あのひとの見てる僕は同じひとであって、違うひと。あのひとの数だけ僕も増える。増えているのに、みんな同じ僕。僕が自分に、ばったり会ってしまったりしませんように。
-2021.04.02

自分がこんなに愛する対象が欲しいのは、たぶん生きることに執着したいからだと思う
-2021.03.30



幻想が向ふから迫つてくるときはもうにんげんの壊れるときだ 宮沢賢治

幻想だと、幻想なら幻想をおれが感ずるといふことが実在だ 宮沢賢治

「愛している人の、自分のものにならない、ずうっと自分のものになりえない部分を、いちばん大切にしなさい」マチャド

痛みを感じるまで愛しなさい。痛みを越えるまで愛しなさい。 マザーテレサ

貴方が貴方だから愛している

人間の愛はもともと幻想に出発するが、正常で健康な人びとでは、幻想と現実との間の相互的な検証と統合がおこるのに対して、不幸な人びとでは、その幻想と現実とのずれがずれのままに修正されることなく平行線をたどる。そして、その果てに愛や人間関係の破綻がおこる。

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