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歌詞考察 | aiko ばいばーーい


aikoのアルバム『どうしたって伝えられないから』から一曲目、『ばいばーーい』の歌詞考察をします。
勝手ながら歌詞考察をやっている身だけあって、僕の個人的なaikoの楽しみ方の中に、詞先作曲であるaiko自身がその詞を書いたときの心情や揺れ動きに興味があります。「音楽」というレンズを通して「そのひと」を覗いている感覚が面白いんだと思います。(音楽に限らずですが)
もちろんリリースしてきた曲の中には少なからず、空想上のお話や煮詰めて味付けして濃く出した内容もあるんでしょうけど、『ばいばーーい』に関しては、向こう側にいるaikoの勢いと怒り、リアルさに引き込まれたために相当聴き込んでしまいました。
愛を歌うaikoの博愛精神の糸がぷつん、と切れたような、蔑みを含むような描写の数々は、肝を、心臓を、鷲づかみされたような危うさがあります。
愛を歌うaikoが何よりも大切にしている愛、それが裏切られたときに発生する莫大なマイナス感情のエネルギーに鼻の奥をツーンとさせられました。

aikoは間違いなく感覚派でありながらも、現実世界とのバランス感覚にとても優れた方。言い換えるならば、相当勘のいい女。

随所に感じられた感覚派から生まれたであろう博愛主義aikoの、aikoらしからぬ冷たい表現に注目しながら歌詞考察をしていきます。

ねえ 合鍵も返さないで何してるの?
いつもみたいに電話してきて
メールしてきて
傷付かないように
気でも遣ってくれてたの

aiko『ばいばーーい』

全体のストーリーとしては、付き合っていた相手に裏切られたことに怒り狂うお話。そのなかにある"あたし"の目線の推移、それに伴う感情の動きが非常に繊細に表現されています。パートごとに目線/感情を整理して前提においてから解釈すると理解しやすいかと思います。
ここではわかりやすいようにそれぞれのパートを、現在or過去/同情(好意的)or無関心or軽蔑(悪意的)に分けながら読み解いていきます。

曲の入りは、近い過去/軽蔑。
あなたによる愛の裏切りの発端であり、あたしの怒りの種について描写しています。

aikoはライブMCで「みんなaikoのこと好き!好き!って言ってるけどさ、どうせaiko以外の曲聴いてるんでしょ(にやにや)」と、半分冗談、半分本気で語ってきました。
aikoはおそらく、リスナーの心の中から一瞬でもあたしがいなくなってしまうことをひどく怖がっていて、それと同じように、一瞬でもあなたの中からあたしがいなくなることを愛の裏切りだと定義しているように思います。

「aikoにとってはaiko以外の曲を聴くことは、あなたの心の中からaikoが一瞬でもいなくなってしまうから、あたしにとってそれは愛の裏切りだから、好きとか軽々しく言ってるんじゃないよ」って遠回しに言われてるんです。

…やばくないですか?

すこし脱線すると、『二時頃』は図らずあなたの二番目の相手になってしまったときの心情を書いているように読み取れます。「あたしのこと少しだけでも好きだって愛しいなって思ってくれたかな」とあるように、心の中にそのひとがいるか/いないかを愛だと言っています。

冒頭から「気でも遣ってくれてたの」というaikoらしからぬ冷たい表現には、アルバム全体の雲行きを心配したファンも少なからずいらっしゃったかと思います。低い音を使うことも相まってか、かなりドキッとしたよね。
解説するまでもなく内容自体は詞の通りですが、上記にあるaikoにとっての『愛』の定義を理解することは、この曲の、そして愛を歌い続けるaikoを理解し読み解く上での最重要ポイントになってきます。aikoのテストがもしあるなら間違いなく出題されます。

問1. aikoにとっての愛とは何か答えよ

配点は100/100点です。


だったらお願い今すぐ全部返せよ
あなたの世界はあなたの世界で
あたしのベッドもあたしのベッドだ

aiko『ばいばーーい』

前パートより現在寄りの過去/軽蔑
いつしか片手間に相手にされていたことにも怒っている描写。
愛を裏切る相手とは精神面も含めて一切の関係を断ちたいと願う場面で、あたしの心の中にあなたがいること自体に嫌悪感を抱いている状態です。
より具体性を持たせて「あなたといた場所」という記憶にすらあなたがいることが嫌だ、というように表現していて、これら全部があたしだけのものだから全部返せよ、と言っています。勘の良い方なら既にお気付きかもしれませんが、あたしのベッドにあなたが誰かと一緒にいたというお話ではありません。出逢ったことを後悔しているレベルではなく、存在自体を嫌っているという、もうめっちゃくちゃ怒り狂ってる描写。もう、すごいよね。
ちなみに、aikoがかなりの感覚派であると思えた描写のひとつになります。

両方上手に
神様にバレないように頼んでたの?

aiko『ばいばーーい』

前パートと同じ時間軸にありますが、全体を通して言える内容です。
あたし自体を構成する部分から出た言葉。

「両方」が何を指しているのかは分かりませんが、あたしともうひとりについて語っているように思えます。
二股が上手くいくと思ってたの?勘のいいあたしの前で?といった具合でしょうか。
aikoの定義する『愛』を裏切る行為は、あなたともうひとりが恋愛関係にない状態ですら裏切りになるので適切ではありませんが、ここでは便宜上『浮気』と表現したいと思います。

戻れないのって小さな声は
電話を通し壊れそうで
戻れないよって答えたあたしが泣いてた

aiko『ばいばーーい』

あなたが浮気をして、あたしが事実を確認した上で別れを告げる場面/好意的。
まだ愛が残っていて、同じ別れという痛みを分かち合って泣いている状態にあります。確かにあなたに裏切られたことは悲しいですが、お互いの痛みをあたしが感じているあたりからまだ愛による優しさを読み取れる場面になります。

あの時はあなたの痛み感じ
巻き戻せない時間を恨んだ
でも今はなんにも感じない

aiko『ばいばーーい』

「だったらお願い~」と同じ時間軸/軽蔑とすこしの無関心。「あの時」とは直前のパートを指します。
好意がなくなり少し残っていた愛が軽蔑に変化する描写。「巻き戻せない時間」はあなたが裏切る瞬間のこと。過ちを受け入れて認めてあげたいという優しさも含まれています。ですが、裏切られた内容自体があたしの最重要視していたことであるため、容認出来るほど軽い罪ではなく、悲しみは次第に恨みへと変わっていきました。
そして、その恨みすら乗り越え、好きや嫌いという感情をも超えたところにはあなたへの一切の感情がなくなります。嫌よ嫌よも好きのうち、愛憎すらもありません。aikoの定義する『愛』が完全に喪失した状態。
前後しますが、終盤に出てくる「突然他人になる感じ」という詞についての説明でもあります。

優しいフリして
あなたは彼女と手を繋いだ

aiko『ばいばーーい』

あなたが彼女と手を繋ぐ瞬間というのは、たとえ一瞬だとしても、完全にあなたの心の中からあたしの存在が忘れられた状態になります。愛していたのに、信じていたのに、あなたは愛を裏切ったんだ…という怒りと、裏切りを取り繕うようなあなたの行為にすらも怒りを覚えています。

私を含めてみなさんがaiko以外を聴いている構図、あなたとaikoとの関係も全く同じ状態です。
わたし達がaiko以外を聴いてる時間は、aikoから愛情を向けられているにも関わらず、わたし達はaikoを裏切って浮気をしているのです。

ばいばーい

aiko『ばいばーーい』

ちょっと馬鹿にしたようにも受け取れる、なのに情緒たっぷり歌うaikoの感情がわからなくなる場面。何でもない他人に軽く言うような表現がリアルです。曲名『ばいばーーい』も同じく。

気持ちに振り回されて失った
あたしのひとつの出口
道は別れて離れてく事もある
人それぞれだからこそ上手に
抱き合っていたかったな

aiko『ばいばーーい』

元来から博愛主義であるaikoの出口として『愛した日』『蒼い日』などにあるように、ただ存在自体を思い出すだけの行為には少なからず『愛』があることを認識しており、そんな関係を出口だと言っています。
今回のあなたに対してはその出口が用意されておらず、ただただあなた自体がいなかったことにしたい/何も関係のないただの他人になりたいと思うことが終着点となっています。

そしてそのあとには、たとえ恋仲から別れてしまっても恨みで終わることなく、たまに思い出す『愛』が存在する関係であなたと離れたかったと願う場面でもあります。垣間見えるaikoの優しさ。

虚しい気持ちはいつか死ぬ
恨みは人を変えてしまう
楽しいことでコンクリートの
切れ間には花が

aiko『ばいばーーい』

表面的な歌詞にある事実だけでなく、ここまでの背景があり裏側にある意味(解説した内容)との並行が続いていましたが、それらの統合を兼ねてストレートに想いを吐露します。自分自身を客観視する描写でもあります。歌詞の通り。

恋愛感情を抱くような出会いを楽しいこと、マンネリ化した二人をコンクリート、新たに現れたもうひとりを花という表現しています。
『ハニーメモリー』にあった「違う花食べた」に繋がる表現ですね。

なんでもない日は特別だって
思える様にあたしはもう
あなたと反対の道を歩きたい

aiko『ばいばーーい』

aikoの定義する『愛』に繋がるお話で、日常にあなたを想うこと/あなたがいないときでもあなたがいるように生活することを『愛』だという意味にもなりますが、当たり前を当たり前に受け取らないこともaikoの『愛』に含まれるという説明、または再定義。そしてaikoの優しさの描写になります。
実は軽蔑の表現が隠されていて、いままでのaikoなら「別々の道を歩きたい」と表現していたのではないでしょうか。あえて「反対を歩きたい」と言うことで、裏切るあなたとは対極にいたいと思っています、ということを聴き手に訴えかけるような表現です。言葉の選択がとても良いよね。

こんなに悲しく苦しい気持ち
書き留めずにいられなかった
あたしはこれから色々捨てます
大切な思い出も 最初のキスも

aiko『ばいばーーい』

現在/無関心。ひとつ感情を超えた目線にいる場面です。
前後しますが、締め部分「この歌を作り終えたころあたしは少し前を向いてる」とあるように、前を向きつつある場面でもあります。
全部返せよ、他人に奪われたものはあたしだけのものなんだから。または、まったく知らないひとが自分のすぐ近くにいることに恐怖や嫌悪感を感じてしまうのと近いかもしれません。
あなたとの想い出を捨てるまでは既に秒読みである精神状態だと読み取れます。

ばいばーい
知らない同士にいつかなる
突然あたしの好きな味も変わる
ある日来る 他人になる感じ
さようならなんて優しい言葉だ
…あ、最後に言ったのなんだっけな
それも忘れた

aiko『ばいばーーい』

ばいばーーい。
さようならと言葉をかけることすら優しさであるように、精神的な繋がりがなくなったあたし(愛のなくなったあたし)からあなたへ向けて発される言葉はひとつもありませんでした。今後の人生において思い出すことももうない、一切の愛がない状態。悲しさ、怒り、恨み、想い出すらもない。ただの他人

しかし、「さようならなんて優しい言葉だ」と言っておきながら、そんな他人になってしまったあなたがいて出来た曲の名前が『ばいばーーい』という、aikoの最後の優しさであり、同時にこの曲が生まれたこと自体が『あなたへの愛の存在』を証明することでもあるのです。

愛に生きるaikoが愛に囚われているとでも言うべきか、根っからの博愛主義と言ってしまえばそれまでですが、aikoと愛の関係になにか宿命を感じせざるを得ない部分です。そこには愛が、いつもいるのです。(当アルバムの最後を飾る曲は『いつもいる』です。)

歴代のリリース曲を感情の区分という目線で見ると、悲しみに暮れてもなお愛おしく思っていた今までの曲や、悲しみが薄れてどうしているかなぁと想像しながら書く愛のある曲との並列ではなく、一種の赦しのような確実に違う形で存在する形の愛が唯一この曲だけに詰め込まれているのです。本当、やばいよね(三回目)

ねえ時間が過ぎるって凄いことなの
この歌を作り終えた頃
あたしは少し前を向いてる

aiko『ばいばーーい』

現在/無関心。時間がお薬、の先。
あなたが何をしていようが何の感情も動かされない、あなたは代わり映えのしないそこらの石ころと同じ。
…あ、aikoが石ころに愛を持っていないと仮定してのお話です。笑

愛に溢れるaikoが、新たなひとつの愛する出口を見せてくれました



以上、『ばいばーーい』の歌詞考察でした。
長々と読んでくれてありがとう。愛。


渋谷タワレコ前


日常にaikoを見つけてしまうのも、愛がゆえなんだよね

aikoいつもありがと!

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