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すっごい適当をこく稿。広告について

某SNSでの話題を元に、さして深くもない考察をたれるだけの文章です。

あの局の話題がつきませんが、文春の火付けから始まった大衆の怨嗟の行方が、焼けダルマになった某芸能人ではなく局の方にいくあたり、令和だなあって思ってます。

で、それこそ某SNSで、ながらくやり取りさせていただいてるラジオリスナーの方が、
「テレビ広告は影響力をなくしつつありネット広告の方が効率的という調査結果も出つつある」
とツイート(ツイートです)されており、いよいよだなあ感をかもしております。が。

その、ネット広告としてのフラグシップ(使い方があってるのかは知らね)がYouTubeであったとして。

果たしてYouTubeがテレビ広告ほど隆盛化するかっていったら、しないんじゃないかなって話で。

といいますのが、YouTubeはご存知の通り、月額1280円で(高くなったなあ…)広告を抜けるという商品を出しており、いわばNHK的な「皆様の受信料で成り立っております」方式をも採用している。

ということで、下手したら
「ずっと広告を目にしない」
層が常に一定数現れることになる。

自分はTVもみなくなってるので、はたと気づいたことがあります。

「広告出すくらいメジャーとなった企業」
が、いつの間にか分からなくなってる。

たまにつけるテレビで「ピッコマ」の宣伝が流れて

たかがウェブトゥーン(w)屋ふぜいがテレビに広告を!?

ってのけぞったりとか。

筒井康隆か星新一か忘れたが、その小説に、広告が挟まれまくる媒体に嫌気がさして、超高級な「何も録音されてない無音の」レコードを買う、という話があるが。

この無音のレコードを、仮に嬉々としてかけ続け、ずっとそれこそ擦りきれるまで無音のなかに生き、広告に浸った世界から「隔絶され続け」ると。
おそらくですが、ひどく時代に取り残された独りよがりな孤独者が立ち上がる、という寸法になるのでは、と。

なのでやはり、ある程度テレビラジオなど、マスがいっせいに視聴する、といった「なにか」はあったほうがいい気がするし、それで社会の空気が醸成されるならそれもあり、と、最近では考え方が変わりました。
……このように一つの稿の中に常語と敬語が混じる書き方をするのは文章を書き慣れてない素人です。あとやたら括弧書きでセルフツッコミするのは昭和の漫画と電子掲示板に汚染されたおっさんの所業なので慎むべし。慎まないけど。

自分の好きな漫画に稲中卓球部があるが、その中に
「自分オリジナルの遊びを考える、友達が一人しかいないやつ」
の話がある。

自分はこの話を戒めとして心に刻んでいる。
あまりにも自分だったので。

人、大衆、その他大勢にはない「独自性」を追求して、アイデンティティを確立し、それによって人に認められたい、と願う。
他人とは違う自分がかっこいいと思う。

しかしそれを大衆の側から俯瞰すると、ただの気持ちわりいハナタレのガキにすぎないし、誰もそんな「話が通じなそうなガキ」をかっこいいとは思わないしむしろ社会から排除されてくれと内心思ってる。

その露悪さが心に残ったのだ。

広告を見ない、大型のマスに触れない人間は、きっとこの「自分だけの遊びを考える友達が一人しかいないガキ」
に成り下がりやすいと思うのだ。

広告を見ないってのも、テレビ局が潰れろ、と思うのも、ある種考えものですよ、という話。

まあでもあの局のあの所業が腹が立たないかっつったら立ちまくりだし、許せるかっつったら許せないんだけども。

巨悪っていつの時代でもそれなりにあるもんでしょ。今だと大衆とかマスメディアとか。
なんて思う自分は未だに「一人遊びを考えるガキ」から進化してないのだなあと自答している昨今。

(タイトル画像と本文は関係ありません。タイトル画像は、さいきん飲んでおいしかった酒。)

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