宝くじとノブレス・オブリージュ
某SNSでの話題を元に、一度だけちょっと深く考察するだけの文章です。
「『優秀な人はそうでない人を助けないといけない』はめちゃくちゃ嫌いな価値観かもしれない」
と唱えた方(以下、Aさんとします)に、注目が集まっていました。
Aさんへのレスの中には、「ノブレス・オブリージュ(高い社会地位には責任が伴う)」を持ち出して再考を促すものもありましたが、どうも議論が噛み合っているふしはなく。
で、Aさんの発信の続きを見て、納得しました。
Aさんは、「優秀」という言葉を一種の「運」と捉えているようでした。
まあ、社会的地位が、それがたんなる積み上げた金銭の多寡によるものであろうと、人徳のなせる技であろうと、運で全てが左右される、と仮に定義するならば、ばくちで買ってゲン担ぎにおごりまくる、とかでないなら、あまり人への施しをと考える人は少ないかも知れません。
一歩間違えば自分は運が悪い側だったかも知れず、運の悪いときに助けてもらえる保証もないのに運の良いときだけ搾取をされるというのも気分の悪い話ではありましょう。
ですが。
事は、運によるものだけではないのです。
たとえ、社会的地位を高める過程で運の多寡が関係あったにせよ、あるいはなかったにせよ。
築いた社会的地位によって、社会に影響力を持ち得ることになった以上、その影響力を自己のためだけに使おうとするのは「社会にとって有害」なだけではなく、「その人本人にとってもあまり有益な効果をもたらさない」ことになりやすいからです。
ここではダイレクトに「社会的地位」を、「金を持ってること」と仮定し、このモデルについて考察してみたいと思います。
宝くじでお金を得ようと、また本業で働いて得ようと、あるいは副業で一発当てて得ようと。
そのお金は、私利私欲のはけ口として消費すれば、だいたいにおいてあなた自身にはなにも残らない結果となります。それどころか、概してかけるお金の額が高ければ高いだけ、副産物としての「損失」もまた甚大になっていくものなのです。
なぜなら、私利私欲に使う金は、たいてい快楽の対価として払われる傾向にあるからです。
美味しい料理は身に脂身をつける。
酒は体を壊す。
博打はまず金を増やすことはない。増えたとしても、増えた以上にベットしてしまい、確率論的に金銭は減少していく。
薬は……。
ですが。
このお金を、仮に家族をつくるために、あるいは養うために、あるいは家族の誰かのために使うなら、金銭は減少しますが、よほどあなたが嫌われてないかぎり、あなたに何かがあったときは、家族がなにくれとなく心配をしたり病院などの手配をしてくれたり、最悪亡くなったあとの諸手続きくらいはやってくれ、無縁仏、孤独死という事態は避けられることでしょう。
お金は、持っている額が一万円とか、十万円とかくらいなら、その使途をして社会責任とか社会貢献とかうるさく言われることはないし、その筋合いはないのですけども。
額が百万円を超えたあたりから、社会は使徒について、わりと黙ってはおりません。
人にあげれば贈与として税金がかかりますし、高額商品を買えば盗難の心配や置き場所、税金、廃棄の方法など考えることは多くなる。
仮に博打ですったとしたら、あなたが一人者なら文句を言う人もいないでしょうが、家族がいるなら、少なくとも親御さんは苦情の一つも言うことでしょう。
さらに、一千万あたりだと、もはや「ぽんと使う」場所は限られ……家とか高級車とかですかね?……、その使い方にも品性が問われる事態になります。
よく、お金持ちが自分の資産をなんの形で保有してるか、という、アセットアロケーションが話題になりますが。
長者番付にのるような資産家は、だいたい半分以上を株式などの債権で保有してるらしいです。
この、株式というのは私などは人間の発明の中でも上位に位置する発明だと思いますね。
たいていの儲け話は、人に教えるくらいなら自分でやれよ、で終了なのですが、株式だけは違うのです。
人が知って保有してくれることで、自分の資産も増える。つまり人に儲け口を教えれば教えるほど自分も儲かるのです。
いってみれば、世界で唯一成功した「欲望のまま行動して成功できるタイプのペイ・フォワード」なのです。
(ちなみに、このnoteは投資を勧める、あるいは勧誘する意図で書かれたものではありません。もし実行される場合は、余剰資金で無理のない投資をすることをお勧めします。それも、インデックスファンドを)
お金というのは、いわば使う側の品性によって効果が化けるわけです。
しかも高額になればなるほど、その品性が問われる機会もその重要性も増します。
これを指して「ノブレス・オブリージュ」だ! と胸を張るのはいささか大げさすぎますし、なにより下品なしぐさではありますが。
ことお金一つとっても、社会に対する影響への考慮なくしては使うこと自体が害悪であるように。
きちんとした社会的地位を得た方はぜひ、その義務として、己の自制に従い、品性を保ち、できれば社会への貢献を企図していただければなあ、と。
貧乏人から、虫の良いお願いでした。