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暮瀬堂日記〜詩としての十七音「うつろひ」

 部屋の整理をしていると、かつて詩壇に投稿していた手稿がダンボールの中から出てきて、その一篇を手にすると、当時の記憶が思い出された。日付には、『2006.10.04(水)』とあるので、三十一歳の秋であろう。
 俳諧と詩に取り組みつつ、連句にも手を出し始めた頃である。五七五の十七音を取り入れて、一行ずつ切り取り、その景色を四十行移ろわせる試みだった。


  うつろひ

朝焼が夕日に老いて死すれども
夕焼が朝日に生まれ変はるまで
鶏頭と君の来るのを待つてゐた
古へのちぎりは既に夢の中
空色の夢よりさむる夢をみて
青空の涙のごとき大瑠璃が
巣箱まで空の悲しみ沁みこます
比喩はまた地上に住まふ人のみに
ひるがへる木の葉を羽根と思はする
この涙冬にはすべて涸るゝかと
百年の柏の青葉仰ぎゐる
暗渠より憂き世を見つむかはづ見て
忽然とひろがりてゆく夜の底
亡き祖父の部屋へと向ふかまど馬
逝く人の忘れし夢を背にのせて
虫たちの声は逝く人呼びつゞく
こほろぎの昼の姿はあぶら蝉
臨終の夢に流るゝ子守唄
同じ夢みながら猫も耳ゆすり
鈴つけて葬頭川まで送りゆく
彼岸より此岸をめざすあめんぼの
何故かしら泥濘む川に足とらる
少年の心の疵に色は無く
世の中のかまつか全て刈りつくす
疵口はどぎつい赤でうめられて
恋文を文語でつゞる切なさよ
梵鐘に朝日のひそむ噂あり
山肌の鴉恐るゝ鐘のなる
思ひ出の声を失ふ渡り鳥
かりがねの群に別れて病みし夜
落つる間に涙にうるむ花火見て
一粒の涙が闇の田に落つる
欄干に先祖の顔のひとつあり
川音とすゝきの音と雉子のこゑ
水切の石は跳ねつゝ川登る
鯵刺の狙ひに雲も動きとめ
夕空は時間のずれをちと直す
鶏頭は待ちくたびれて二三年
君はまだ俺の待つのを露知らず
俺はまだ君の来るのを待つてゐた


 この詩は、四十行目が終わると一行目につながるので、ついぞ終わることなく風景が繰り返されてゆく。今思えば、「詩」に対して酷なことをしたものである。
「詩」はどこから生まれるのだろうか、という答えは未だに出ていないが、山と空の境目、あの稜線がべろりとめくれ上がった所から這い出して来るのを、ほんの少し垣間見たのを思い出していた。


(新暦九月二十四日 旧暦八月八日 秋分の節気 雷乃収声【かみなりすなわちこえをおさむ】候)

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