ティンカーベルは魔法の粉をくれなかった
歩道橋から飛び降りたいっていう衝動は、必ずしも希死念慮ではない。ただ、飛び降りたらどうなるんだろうなって思う時があるだけだ。
以前、嫌なことから逃れるために「世界が終わって欲しい」というnoteを書いた。私は嫌なことがあったとしても、自分が死ぬよりも嫌なものを排除する方向に動く人間だ。
さて、話を戻そう。私は歩道橋を歩く時、そこから飛び降りたい衝動に駆られることがある。特に、疲れた夜に人通りが少ない時、飛び降りたらどうなるんだろうと考える。もちろん怪我をするか死ぬかの2択だろうけど、その空想が私を楽しくさせるのだ。
ベランダの欄干を掴んで「あぁ、ここから飛んで向こうの明るい街まで行けたらどんなに楽しいだろう」と夢想する。足で手摺りを蹴って飛び降りたら、実は飛べるんじゃないかと思ってしまう。現実は、残酷だけれど。
もし小さい頃にティンカーベルが私に魔法の粉を振りかけてくれていたら、私も空を飛べたかもしれない。ピーターパンは私の枕元に現れなかったし、ティンカーベルにも出会っていない。
だから私は、飛べないままでいる。
高いところから下を眺めているとき、私は死にたいよりも生きたいと思っている。何度もいうが、これは希死念慮ではなく幼い子供が描く夢物語なのだ。
諦められないまま大人になって、缶チューハイを片手にため息をついている。お酒を飲むと夜風にあたりたくなって、夜のお散歩に出掛けてみる。そんな時に歩道橋を渡っては「ああ、ここから飛べたらきっと気持ちいんだろうな」と思っている。
幼い頃から高いところが好きだった。いつだって空を飛んでみたかったし、空を飛べればなんでもできる気がしていた。魔法が使えれば、今の憂鬱を消し去れる気がしていた。
電車を降りて改札を出る。今日も歩道橋を歩いている。くたびれたサラリーマンたちが歩く中、ふと下を眺めてしまう。
ヘッドライトが道を照らす。それなりに人が多い街だからか、まだ周囲には音があふれていているのに、数秒だけ音が消えるような気がする。まるでミュージックビデオのように光の動線が視界にちらつく。
飛び降りてみたい。きっと、今日こそ飛べる気がする。
そんな戯言を胸に抱いて、私は大人しく階段を降りて帰路に着く。今日も飛べなかったと残念な気持ちになると同時に、飛ばなくてよかったとも思うのだ。
だってティンカーベルは、私に魔法の粉をくれなかったのだから。