今日の気づき
先日お友達と3人で買い物に行った。
その時の会話で一つ気になっていることがある。
それは、京子ちゃんが私に「このスカート履くと思う?」と聞いてくれた質問に私が、「京子ちゃんはそのスカートあんまり履かないと思う」と返事したこと。
なぜそんな否定的な言葉を発したかというと、
京子ちゃんが迷っていたから。
欲しいものではなく、せっかく買い物に来たのだから何か買って帰りたい、という願望に引っ張られている気がしたから。
その理由は簡単で、、
京子ちゃんはほとんど同じ店で、ほとんど同じような服しか買わない。
好みがはっきりしていて、こだわりも強く、ストライクゾーンがそんなに広くない。
それは、自分の求めるものをハッキリと持っていることなので、自分を認識出来ていて素晴らしいことだと思っている。
京子ちゃんとはお互いの好みを認識しあえていて、京子ちゃんも私の好みをよく分かってくれているなと感じることが多い。
好みは違うが、ファッション感覚が近い、という感じかな。
その中で、京子ちゃんが今回のスカートを選択する基準だったのではないかと私なりに感じている部分を羅列してみる。
ふんわりしたシルエットで体のラインが出すぎないもの
ビジネスライクでないもの
素材が今の季節感にあっているもの
丈が自分好みであること
裏生地がしっかりしてポケットがある
色は好みの色合いのベージュ、モスグリーン、グレー、落ち着いた紺色
自分の手持ちのトップスと合うか
などなど。
これは今回と言っても、いつも同じようなスカートを選ぶのでいつもと基本は同じ。本当に好みがはっきりしているのだ。
基準はいたって分かりやすくて、普通に洋服を選ぶのに違和感のないものだと思う。
今回私がハッキリ言った理由は、色とスカート丈が京子ちゃんの選択基準からずれていたこと。
そこを無視して買っても、きっと色々理由をつけて結局履かなくなったと言いそうな気がしてしまったのだ。
京子ちゃんはそうやって、過ぎたことを後悔している言葉を発することが多い。
気に入らないなら処分すればいいし、タンスの肥やしにすることも私は好まないが、本人が良ければそれでいい。
でも、、こんなに高かったのにとか、同じような服ばっかり持ってるのにとか、言ってるのを聞くと、ハッキリ言ってあげるのがいいんじゃないかと思っている。
と、、、にもかかわらず、自分がこんなちょっとした出来事を気にしていること
ちょっと言い過ぎたかな、と気になっている自分がいること
良かれと思って言ったことなのに、と言い訳している自分に気づく
うーん、これは何だろう。
今、私は少しづつではあるが、心理カウンセリングを学び始めている。
こういう時って、、カウンセリングではどう対応するのがいいのかな。
思いついたのが、論理的帰結。
良い/悪いや、正しい/間違っているという判断ではなく
本人にとって、選択した場合のメリット/デメリットと、選択しなかった場合のメリット/デメリット。
今回で言うと、
京子ちゃんがスカートを買ったときのメリット
買わなかったときのメリット
そして、買ったときのデメリット
買わなかったときのデメリット
これを京子ちゃん自身に問いかけるような言葉が言えたら良かったな、と気づいたのだ。
なーんてこと。
私がとった行動、言葉は、自分が今まで京子ちゃんと接する中から感じてきたことを私なりに解釈して、私が良かれと思って言った言葉だった。
そう、「良かれと思って」これが曲者。
そのスカートを京子ちゃんが買おうと買うまいと、履こうと履くまいと、私にとってはどちらでもいいことのはずなのに、無駄な買い物になってしまったらもったいないとか、また後悔の言葉を言うのかもしれないと勝手に先回りして、伝えてしまったのだ。
あぁ、学びが身についていない。
頭で理解したつもりになっても、なかなか現実の日常に落とし込むことは難しい。
でも、現実で活かせない理論なんてもったいない。
こうして、つまらない出来事一つとっても学びがある。
今の自分にとって、人とのかかわりの必要性を強く感じている。