記憶を呼び覚ます
孤独のグルメ
腹が減った・・いうセリフ、お店を探す行為、その時々のお店やメニューとの出会いなどを含め、美味しそうに食べる姿が魅力的な番組。
食べることが好きだった夫は、好んでその番組を観ていた。
特に病の治療による食が細くなってからは、今は食べられないけど、元気になったら食べたい気持ちを希望に変えるように、美味しそうに食べる男性を眺め、その来たる時のためにイメトレをしていたように思う。
元気なころから、美味しいものを食べるのが好きなひとだった。
季節が移ろうと、その季節の旬のものを食べに行こうと言い始める。
ふぐ、松茸、牡蠣、脂ののったお魚、牡丹鍋、カニ。
旅先では、その地ならではの美味しいものをピックアップ。
予算と行動範囲から自分のお目当てのお店をチョイス。
時には行列に並んで待つこともあったけど、納得して選んだお店はどこも美味しく、私たちに幸せな時間をもたらしてくれた。
美味しいものは好きだけど、そこまでこだわりの持てない私が、お相伴にあずかって共に美味しい時間を過ごせたことは、本当にラッキーだった。
今も美味しいものを食べると、夫を思い出す。
そんな美味しいものを食べるのが好きな夫だったが、家ごはんにはほとんど文句を言わなかった。
私が料理が得意なわけではなく、どちらかというと不器用で、しかも味見を忘れるという致命的な欠点の持ち主。
日によっては、一言モノ申したくなるような食事もあったと思う。
実際、一緒に食べ始めた私が、自らこれは良くないと思うもので、美味しくないと同意を求めることがあっても、ちょっと困った表情を浮かべるくらいで、快く食べてくれていた。
そして、ちょっと上手く出来たときには、必ず、美味しいと言葉に出して伝えてくれていた。
私にとっては、本当にありがたい夫だった。
そんな夫が、抗がん剤治療の影響で、急激に食べられない状況に陥ったとき、孤独のグルメさえも観られなくなっていった。
食べる姿を見ることが、生きる勇気や食べたい希望につながらなくなっていった、そんな風に感じる瞬間だった。
まだ、この番組を観ることが辛い。
独特の音楽や空気感、美味しそうに食べながら、語り続ける男性の心の声を聞いていると、その時の食べられなくなっていった夫を思い出す。
もっと美味しいものを食べさせてあげたかった。
もっと元気でいて、一緒に美味しいものを食べに行きたかった。
もっと一緒に同じ時間を過ごしたかった。
一緒に過ごしていく未来しか描いていなかったから、
ひとりの時間を具体的に見つけ出す作業はとても難しい。
夫を心のどこかで握りしめながら
軽やかに前に進む自分を見つけようともがき続ける日々。