沖縄旅行記              私が島を眺めるとき、島もまた私を眺める編 #1



こんばんは、Mugiです。

もう秋ですね。

ずっと訪れたかった沖縄


夏休みの終わりギリギリに、沖縄に行って参りました。


沖縄、と聞いて皆さんは何をイメージしますか。
私は、ハワイに代わる国内のリゾート地というよりかは、傷跡の島というイメージが強かったです。

高校生の時に、学校の研修で水俣を訪れたことがあるのですが、その土地が持つバッググラウンド(土地だけに)を理解した上でその土地に出向くと精神的にわりとくらってしまう、ということがありまして。

だから今回の旅はあえてアクティビティ系を増やして、歴史の傷跡、いわゆる負の遺産の場所には赴いていません。

政治的な意味において私は、沖縄が抱えるのは傷跡ではなく、生きる傷(もしくは剥がれないかさぶた)だと考えているんですね。

だから、沖縄を魅力的だと思っていてもどこかで怖いというか、観光客として楽しんでいいのかなという気持ちがとても強かったんです。

なので、今回の旅で感じたことを、行く前に考えていたことを踏まえて整理しておきたいと思いました。長く続くと思いますが、悪しからず。


私の中の沖縄のイメージ

小学校の時読んだ、灰谷健二郎さんの
『太陽の子』のイメージが自分の中ですごく強いんですね。


灰谷健次郎作、『太陽の子』を読んで認知した沖縄の「傷」


こちら💁

太平洋戦争の終戦から30年後の神戸市を舞台に、沖縄県出身者を両親に持つ少女が、父の精神疾患をきっかけに沖縄戦や沖縄県出身者の置かれた立場と心情に触れていく様子が描かれている。「てだのふあ」という読み方は沖縄方言によるものである

Wikipediaより

主人公のふうちゃんと年齢が近い時に読んだので、とても印象に残っています。

読み返す前なので曖昧ですが、作品の最初と最後が曼珠沙華の描写なんですよね、確か。

テーマはかなり重いですが、読後の後味がそこまで悪くないのはこの曼珠沙華の描写と、関西弁の会話、常に前向きな主人公ふうちゃんのおかげだと思うんですよね。

この作品、主人公のふうちゃんは何も背負っていない小学生ですが、ふうちゃんの周りが、傷を負っています。

沖縄戦を知らない自分と主人公が重なり、当時は定期的に読み返していました。



今日はここまで、あとに続きます






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