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くれは自叙伝〈7〉

小学生低学年の頃だった。
「ほら並んで見てみ」姉は洋服箪笥に付いていた鏡の前に私を立たせた。
「全然私ら似てないやろ?」と言って鼻で笑った。
「可哀想にな、アンタはSの子や」と、言い捨てて部屋から姉は出て行った。
Sとは我が家では禁句になっていた母の浮気相手の名前だった。

私は私だけが母に連れられて逃避行をしたのは、もしかすると私は父の子ではないからではないかと思っていた。
姉の言葉は無慈悲にそれからの私の人生に影を落とした。
父の子ではないのにここに居ると。

今は縁を切っているが、姉は子供の頃から気難しく冷たい人だった。
普通に会話していても、何かが気に触ると何年も私を無視した。
最初は何とかして姉の機嫌を取ろうとしたけれど、何度もそんなことが重なると、私も話しかけなくなった。
姉が気まぐれに機嫌を直す日まで。

成人してからも私は姉の前に居ると挙動不審になってしまう。
顔色を見る癖が染みついていて、態度がおかしくなってしまうのだ。

姉は兄と仲が良く、姉が殴られた事はなかった。
二人がテレビを観て笑っているのを、二階で一人聞いていた。

今はこう思う。
私だけ施設に入れて欲しかったと。
その方がきっと幸せだった。

ある日、セキセイインコの雛に餌をやっていたら兄がやって来た。
「新聞取って来い」と兄は言った。
私は抵抗したくなり「嫌や」と言った。
「取れへんかったらお湯かけるぞ」と兄は言った。
私は黙っていた。
すると背中から熱湯をかけられた。
「熱っ!」と反射的に言うと、
兄は「当たり前じゃ」と言った。

私はセキセイインコに熱湯がかかっていたらと思うと身震いした。
そのまま藁の巣に入ったインコを、続き間になっていた食堂の店先に持って行き、父にわかるように置いた。
そしてわずかなお金と衣類を袋に入れ、家を飛び出した。
どこかに行ってしまおう。

けれどすぐにNさんに見つかり、荷物を取り上げられ「これは何や!?」と止められた。
兄の所業を知ったのかどうかはわからない。
背中が火傷でただれてしまい、Nさんは軟骨を塗った。
治るのには時間がかかったが、幸い跡は残らなかった。

成人してから精神科医に兄と姉の振舞いを話してみたことがあった。
私だけが母に連れられて出て行った事は、母を独占されたと思う行為であり、憎まれていると。
そして、やり場のない気持ちを一番弱い者に向けて憂さ晴らししたのだと。
そして兄はサイコパスだと。

私は母に連れられて逃亡しても、少しも幸せではなかった。
それを二人は知らない。

兄は母と連絡を取り、母の葬儀にも出たようだ。
姉も母に会いに行っている。
母は駆け落ちしたSさんの愛人として、子供を二人産んでいたそうだ。
私は会いたいと思ったことは一度もない。


そして今から数年前、父の毛髪と爪、私の口内粘膜を使って私は秘密裏にDNA鑑定を受けた。
99.98%生物学的に父は私の父親だった。

父は老齢だったが、それを伝えると驚いていた。
父も疑っていたのだ。
私は父に冷遇されていたが、疑われていたからだった。

姉にも鑑定結果を伝えたが、浮気相手の子だとなじったことを覚えていなかった。
お金を使って何をしてるの?という態度だった。

父が亡くなる数年前にやっと自分は、居ても良かった父の子だったのだと知ることができた。
長い苦悩だった。

つづく

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