見出し画像

バ美肉考(と言いつつ8割感想文)

ソーシャルVRユーザーの紅林アオです。

主にVRChatというプラットフォームで2018年の終わりごろから細く長く活動している者です。

この界隈に身を置いていると「バ美肉」という単語を耳にします。
初耳の方に説明すると、「バーチャル美少女受肉」の略称で、(主に戸籍上男性である方が)美少女のアバターを纏ってソーシャルVR空間上で活動することを指します。

※昨今のジェンダーの観点から、美少女を美男子としても良い。など様々な考えがありますが、ここでは最も広く認知されているであろう意味での説明に留めます。

以上が、非常に簡素なバ美肉の説明です。

初めのうちは、中々に威力の大きな光景ですが慣れてしまえば「全く普通」です。

かくいう私は、バ美肉をしている人なのか?

答えは「半分イエス、半分ノー」ですかね。
かつてしていた、というのが適当な表現かも知れません。

詳細は後述しますが、ある出来事から女性アバターを纏うことを辞めました。

さて、自分語りは一旦置いておいて、バ美肉考を始めましょう。

バ美肉考

初めに断っておきます。
①私はジェンダー論の専門家では無い
②他人の在り方を否定するものでは無い
以上を踏まえて読んでいただけますと嬉しいです。

在りたい姿と受け入れられる姿

ソーシャルVRが流行り始めて、よく聞くようになった言葉がバ美肉以外にもあって、「なりたい自分になれる場所」というものです。

コンセプトはとても素晴らしいと思います。

ですが、同時にある問題も噴出しました。
ゲームの内部データなどから無断で引っ張り出してきた、著作権的にブラックなアバターの氾濫です。

また、なりすまし等も少なからず起きていたと記憶しています。

当然多くのユーザーは、いくらなりたい姿と言えど権利侵害はダメだよね。という認識を持っていますので、違法ユーザーが多数派になることはありませんが。

では、次のケースはどうなのでしょうか。

合法であるが、人によっては非常に不快になる姿をしている場合です。
精巧な虫だったり、ゾンビや幽霊のような恐怖心を煽るアバター、過度に露出しているアバター等がこれに当たると思います。

ここまで来ると、判断が非常に難しいエリアだと思います。

権利侵害では無い以上、いたずらに制限してしまう事は非常に危ないことであると感じますが、同時に不快にされる側の気持ちもよく分かります。

ときに、VRでホラーゲームをした事はありますか?私はあります。
自慢ではありませんが、普通のホラーゲームには完全と言っていいほどの耐性があります。しかしながらVRホラーゲームは最序盤でギブアップしてしまいました。視界と聴覚をその世界に引きずり込まれるのは本当に怖い。こっちに迫ってくる敵の恐怖心についついHMDを投げ捨てたくなる程。

ソーシャルVRでそういう存在が不意に視界に飛び込んできてはたまりません。

かといって、他人の在りたい姿を否定することも、またしてはいけないことであるわけです。
イタズラで脅かしているならまだしも、本心から「こうありたい」と望んでいるかもしれないのだから。

つまり、時として「自分の在りたい姿」は「他人が受け入れられる姿」とは対立する可能性を含んでいるということです。

これはバ美肉に関しても同じことが言えますし、アバターを纏うことそのものに対してもそう。物理的な社会においても、(主に社会人の)スーツやメイク、ヘアスタイルやカラー、刺青、美容整形…あらゆる外見的情報に当てはめることが出来ます。

この問題は、私を含め現在進行形で悩んでいる方も多いのでは無いでしょうか、と思います。

この「在りたい姿」と「受け入れられる姿」の綱引きをどこまでどちらに引っ張るべきなのか、引っ張らないべきなのか。というのが今後起きる議論の1つなのは間違いないでしょう。

結論を出す事はしませんが、私個人の私的な考えとしては、「在りたい姿」の方に味方したいかな〜と思いにけり。

バ美肉の意義を考える

バ美肉という在り方が、ある一定の人達の心を救ったことは紛れもない事実である、というのは前提として、肯定的な目線と否定的な目線からそれぞれ考えていきます。

※繰り返しになりますが、バ美肉をしている方の在り方を否定するものでは無い。ということは強調しておきます。

肯定

たとえバーチャルアバターであったとしても、可愛い姿・愛される姿になれるというのは精神的にとても有意義であると言えますよね。

加えて、実際にバ美肉で女性としての振る舞いをする事で、初めて心と身体の性別が一致した、という方もいらっしゃいました。心と体の性別に違和感がある、という訳では無かったとしても、「愛されたい」という欲求は老若男女問わず持っていておかしくない衝動であると私は思います。

否定

バ美肉には潜在的にルッキズム的な要素が含まれていると感じます。
技術的、権利的問題さえなければみな等しく可愛いアバターを纏える訳ですが、逆に言えばより技術を持つ人、より可処分所得・時間が多い人が必然的によりクオリティの高いアバターでいる事ができるようになります。

よく言われる「アバターコミュニケーションは外見が介在しないから心と心で繋がれる」的な言説も、そもそもアバターの外見が良くないと心で繋がるためのスタートラインに立てない事の対偶であるとも言えます。

つまり…

超個人的意見をいうなら、バ美肉については、完全に「心がふたつある〜!(ちい〇わ)」てな感じ。
他人の在り方を否定するつもりは無いし、仲良い人にもバ美肉さんは多いし。文化としても興味深いものであると感じている一方で、ジェンダー的な観点で、異性の抽象化した偶像に対して、気軽に自身を当てはめることが果たして善い事なのだろうか…(しかもなかなかルッキズム的な世界)と。

そんな感じに葛藤しているわけでございます。

オマケ

ここからは自分語りのターン。

前半に、私は過去バ美肉していたけど、今はしていないよと書きました。
その理由をお話していこうかと思います。

私は性自認が決められていない「Q」という性質でございまして、バーチャル・リアル双方で「しっくりくる姿」を探していた事があります。自分探し、モラトリアムというやつですかね。

ある日、いつもの如くVRChatでモラトリってて、その日は男性アバターを使ってた日でした。

お話していた人達の中の1人に、こんなことを言われました「なんで男性アバターなの?美少女になればいいのに【 勿体ない】」と。

性自認で悩んでいて、身体の性別で揺れているところにこの言葉。めちゃくちゃ萎えました。

私が長年悩んでいる身体の問題になぁっ!
勿体ないで片付けられるほどなぁっ…!!

ゆるさーーーん!!


…失礼。

バ美肉さん全員がその考えであるとは思ってないけれど、少なからずその人の中では、存在価値が「男性アバター<女性アバター」で、他人も当然ながらそう感じているだろうという思考。

思考自体を咎める事はしませんが…しませんが…


そこからはほぼ意地です。私は男性アバターで過ごすんや!!と。ここで男性アバターの価値を自分の中で見いだせなかったら…負けだ!ってね。

別に争ってるわけじゃないけど、何に負けるんだろうね??

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?