99*鬱病 不安障害 主に日記として使用しています。

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最近の記事

1ヶ月。

一般就労に就いて1ヶ月が経とうとしている。 1日過ぎるのが早い。 8月1日から働き始めて、noteを書いている今日は28日。 あっという間だった。 今の所会社の人には褒められているし、可愛がられてると思う。 苦手な人は居るけれど、それもまぁ上辺だけ仲良くしている。 どこの会社に入っても苦手な人は必ず居るものだ。 仕事は大変だけれど、やりがいはある。 前の職場の様にブラックではない。 かと言ってホワイトでもないが。 飽き性の僕だがまだ飽きずに1日も休まず働けて居る(通院以外は)

    • わかんないよ。

      この先生きてたら、幸せだと思える事があるとか、辛かった事を笑い話にできるとか、なんでわかるの。 私にはわからないよ。 私は、「今」が辛くて苦しいの。 こんなクソみたいな人生から逃げたいの。 私に取って死は逃げ道なの。 その逃げ道すら否定されて、私はどうすればいいの。 私は誰の為に、何の為に生きてれば良いの。 ねぇ誰か教えてよ。 私は何の為に産まれたの。 私は何の為に生きているの。 わからない、わからないんだよ。

      • ラジオで父が泣いた。

        午前11時にやっている人生相談のラジオを聴いた父が、感想を僕に言ってきた。 相談者は「ODしている40代男性」だった。 どうやら、前の僕と状況が似ているらしい。 と言う言うのも、僕も以前は自殺願望がすごくて未遂を繰り返していた事がある。 そこで今回は僕がODをや止めれたきっかけの様な話を書いていこうと思います。 事の始まりは、中学2年生から。不登校になった時期ですね。 最初はレスタミンを飲んでましたが、うつ病になる少し前から風邪薬を飲む様になりました。 そんな僕

        • 飼い猫が亡くなった。

          一昨日飼い猫が亡くなった。 母が仕事から帰ってきて死体を発見した。 僕が知ったのは17時半頃、仕事終わって帰ってる途中だった。 母からの1通のLINE。 そこには、「灰、花が亡くなりました。」の1文。 車の中で泣いてしまいたかった。 でも僕は泣いてはいけないような気がした。 猫の世話は母に任せてばかりだったから、僕に泣いていい権利なんてないと思ったからだ。 でも最後の別れをする時泣いてしまった。 「ごめん花。幸せにしてあげれなくてごめん。」 手を合わせながら、僕は涙声でそう呟

          久々にODした話。

          久々に僕は病んでいた。 僕の部屋の改装の事で、父と口喧嘩のようなものをしたからだ。 僕は黒をベースとしたゴシック系の部屋にしたい為、棚やらマットやらインテリアを買おうとしていた。 それを知った父は僕に「無駄な事に金使うな」と言ってきたのだ。 僕は喧嘩したくなかったので「そうですか〜」とだけ言って自分の部屋に移動しました。 (親にまとまったお金をプレゼントしようと計画していたのですが、一気にその気がなくなってしまいました) すると何分後かに父が部屋にやって来て、「改

          久々にODした話。

          出掛け先 オバサン「それタトゥーって言うんでしょ?」 僕「そうです」 オバサン「やめなさい、温泉入れないよ」 僕「そうですね、知っています」 オバサン「高校生?」 僕「違いますよ」 正直不愉快だった。僕の何を知って口出してんだと思った。 でもそれが世間の目なのかなとも思った。

          出掛け先 オバサン「それタトゥーって言うんでしょ?」 僕「そうです」 オバサン「やめなさい、温泉入れないよ」 僕「そうですね、知っています」 オバサン「高校生?」 僕「違いますよ」 正直不愉快だった。僕の何を知って口出してんだと思った。 でもそれが世間の目なのかなとも思った。

          真面目

          僕はよく「真面目だ」「仕事も早い」と言われる。 自分ではそうは思わない。 ただ黙々と淡々と作業しているだけなのだから。 それに僕はうつ病と不安障害を持っている。 僕は少しでも使える人材になりたいのだ。 頑張ってなんとか普通を演じている。 本当は仕事なんてサボりながらやりたい。 でも人より劣っている僕は頑張らなければならないのだ。 「完璧」「劣等感」に囚われ続けている。 今もこの先も。 『「完璧」な人なんていない』と大人達はよく言う。 わかってはいる。しか

          真面目

          B型作業所を辞めてきた

          こんにちは、灰です。 昨日、B型作業所を辞めてきました。 理由は2つあって、まず段々とパターン化された作業に飽きた事、次に建設関係の会社から声がかかった為です。 自分は小さい水槽で泳ぐよりも、大きい水槽で自由に泳げた方が良いと気付きました。 建設関係に勤めるにあたって不安が無い訳ではありません。 将来後悔しないか、失敗しないか、会社の人に迷惑かけないかなど、兄も働いている会社に入るので、兄が何か言われないかが今のところ不安です。 取り敢えず真面目に働いてお金を貯めて、車の

          B型作業所を辞めてきた

          弱音。

          僕は今、B型作業所に通っているのですが、実は今月は数回しか行けてなくて。(父や兄の手伝いをしていた為) そしたら先日、会社から「確認したい事があるから体調の良い日に来て欲しい」との連絡が、、、。 早く終わらせようと明日行こうと決めたいたのですが、今になって行きたくないという気持ちが出て来てしまって。 うつ病なり始めの頃の様な気持ちや、症状まで出てきてしまって。 「僕、ほんと生きるの向いてないな」とか「嗚呼、僕はまだ完全には回復していないんだな」と自覚して気持ちが下がってる状態

          弱音。

          僕が生きてる意味

          こんにちは、灰です。 僕が生きる意味について書いていこうと思います。 まぁ簡単な話なんですけど。 良かったら最後までご覧頂けると幸いです。 僕が生きる意味。 「今はまだ生きていて欲しい、俺らが亡くなった後好きにしろ」と父に言われたからです。 最初は今すぐにでも死にたかったので、理解が出来ずにいましたが、後々良く考えると、「死ねるならいつでもいっか」と自分の中で納得出来たんです。 親が先か僕が先か、どちらが先に死ぬかは誰にも分かりません。 ならば今あるこの時間を

          僕が生きてる意味

          母と僕の関係

          僕の母は子供が嫌いだった。 それに加えて面倒くさがりな人。 子供を産むなら1人か2人で良いと言っていたらしい。 子育ても面倒くさいと思っていたのだろう。 3人目の僕が産まれたのは父が娘をどうしてもと欲しがったからだった。 僕は父には愛されたが、母からは愛されなかった。 何せ望んで産んだ訳では無いのだから、愛さなくてもしょうがない。 小学6年生の頃、僕は休みがちになった。その度母は僕に怒鳴った。 「なんでいかないの!なんか理由でもあるの!?」 理由は特にない。ただ行きづらくな

          母と僕の関係

          心と花〜うつ病になったきっかけ〜

          目の前に枯れた花があったらあなたはどうしますか? 放置?すぐさま捨てる?それとも栄養をあげて様子を見ますか? 僕は思うんです。 もしかしたら、心って花と同じなのかなって。 と言うのも、花ってちゃんと手入れしないと枯れたり元気が無かったりするじゃないですか。それって、心もそうじゃないかなって。 さて、今回は僕がうつ病になったきっかけを話そうと思います。 当時19歳の僕は大手企業の某パン工場に勤める事になります。 そこでは毎日上司の愚痴を聞き、パワハラを受けます。 そんな

          心と花〜うつ病になったきっかけ〜

          闘病4,5年

          うつ病と不安障害になって4,5年。 僕は何も変わっていない、と思う。 今でも死にたいと思うし眠れない日だってあるし、突然不安に襲われる事だってある。 4,5年もかかってまだ治らないのなら、この先治る事なんてあるのだろうか。もしかしたら、一生闘っていくのかもしれない。 主治医は「今は薬に頼るしかないよ、でも必ず治るからね」と言っていた。 僕はあと何年死を願って生きていくんだろうか。 生きてれば楽しい事も幸せだと思える事があるのは知っている。でも、ふと不安になってしまう。 このま

          闘病4,5年