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部活は地域移行へ
部活について。
結論から書くと、中学、高校の部活は廃止にし、地域へ移行すべきです。教員は部活の顧問から離れ、本来の業務や生徒のケアに時間を割くべきでしょう。
地域へ移行。すなわち、スポーツクラブ、武道や格闘技ならジムや道場といった、熟練した指導者が有料で技術を教える、そうした民間へ移行すべきでしょう。
日本は世界的にも特異なことに学生スポーツがメディアで視聴率を集めています。このため、県大会、全国大会はスポーツ特例校として指定された一部の高校、大学だけで行うべきでしょう。(特例校の指導者は教員ではない、外部の人によります)
あらためて、私は部活の廃止を提唱します。
部活が普及した背景には、スポーツ用品メーカー、競技場を建設する建設業界、試合を取り上げるメディア、スポーツ強豪校とされる一部の私立の高校、大学の経営者の思惑、そして、文教族議員の思惑があったでしょう。
一方で、スポーツをめぐる様々な無理と歪(ひずみ)が取りざたされてきました。教員の過労死、顧問からの体罰、生徒の指導死、スポーツ事故、身体の後遺症、部内でのイジメ…
小学校からある全国大会、勝利至上主義、怒鳴る指導、そうしたなかで、その種目を嫌いになったり、辞めていく生徒もいます。
近代スポーツは貴族の青年の趣味から始まったものでした。それが大衆化していく過程で、趣味から一種の教育虐待へと変容していったのは何故なのか。
私なりの解釈ですが。
日本は欧州と並んで封建制がある国でした。武士が支配階級であり、彼らは武術の習得に励みます。木刀を用いた剣術の稽古。腕、腹、頭を打ちあう、時に事故を起こす危険と苦痛を伴うものだったでしょう。
興奮と苦痛から、稽古の際には絶叫する、奇声を発することがやがて、常態化し、絶叫する習慣はやがて、近代以降の剣道へと継承されたと考えます。
大正時代になり、野球が日本に伝わり、普及するのですが、そこに剣道経験者達が参加したのでしょう。米国から日本へ渡った野球は、やがて、練習の際に大声を発し続ける「野球道」へと現地化していきます。
近代になると、また、徴兵制が始まります。軍隊生活での習慣、「体罰」と「丸刈り」はそのまま、学校体育、運動部へと持ち込まれたのでしょう。「絶叫」「体罰」「丸刈り」….こうして世界にもユニークなスポーツ文化が形成されていきます。
そして現代。
昭和の後期。テレビで活躍するスポーツのスター選手やスポーツものの人気漫画が多くの人々、子供、若者の心を捉え、熱狂させてきました。その陰で起きていた部活でのスポーツ事故、後遺症、指導死といった負の側面については長く顧みられることは希薄でした。
平成末期から令和の現在。スポーツの主な担い手だったのは若年者、小学から10代でしたが、日本全体で既に人口減少フェーズにはいり、さらには少子高齢化、若年人口の相対的な減少、そして、子供食堂の普及に象徴される格差社会もあってか、ここ10年で野球人口は減少しているそうです。
近現代とスポーツが普及した背景にはスポーツ用品メーカーをはじめとした特定業界の利権があったでしょう。そうであれば、できるだけ多くの人に、できるだけ長く競技を続けて欲しいはずです。
そのためにはフィジカル、体格や腕力、さらには身体能力、才能とは関係なく多くの人が参加できる、楽しめる、そうした趣味、遊びとしてのスポーツ文化を形成すべきでしょう。(ゲートボールを思い出してください)
併せて、スポーツの指導者には熟練した技能とハラスメントを否定する心性が求められます。いくら、選手として突出した成果を出した人物だったとしても、入院、手術、後遺症を伴う事故を起こすような指導をしてはなりませんから。
とりわけ、強豪校の指導者に求めたいのは、勝つことへのこだわりを薄くすることです。優先すべきは、まず、選手の安全、それから、イジメ、飲酒、喫煙といった素行、それから、教養です。試合に勝つとか上達するとかはその後です。
勝ってもいい顔、負けてもいい顔、ミスがあっても、好プレーがあってもいい顔、上手いとか下手とか関係なく、誰もが充足した気持ちで参加できる、そうしたチーム運営ができるよう、強豪校の指導者こそ、意識改革が求められるでしょう。
私が部活に否定的な主な理由としては、顧問に、素人、その種目の経験がない、あっても浅い人が多いことです。もし、本格的にその種目で上達する、全国大会やプロを志向するのであれば、指導者もそれにふさわしく熟練した人があたるべきです。(だからこそ、地域移行なのです)
指導者に、その種目の経験も無いのに、チームを県大会や全国大会にエントリーさせる、というのは企画として無理があります。
指導者には合理的なトレーニングの知識が要るのです。「うさぎ跳び」や「タイヤ引き」は膝や腰に負担が大きいからさせてはいけないですし、野球選手は適度に横幅も要るので、陸上選手みたく細い体にならないよう、あまり、走り込みをさせてはいけないのです。
その種目、そのポジションに相応しいトレーニングをしないと、その選手のポテンシャル、潜在能力を引き出すことができません。まして、過度な練習で選手の肩や肘を壊してしまってはその選手の未来を閉ざしてしまいます。
熱中症に代表されるスポーツ事故、教員の過労死、生徒の指導死、そうした負の側面を解消しつつ、スポーツが人々の健康と幸福に資するものであるべきだと私は提唱を続けていきます。
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